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JIROの独断的日記
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2003年05月11日(日) 格調高い日本語

 現在の小学校の音楽の教科書には、昔なら誰でも知っていた「文部省唱歌」が、載っていない。不満である。

 「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、夢はいまも巡りて、忘れ難き故郷。」(故郷)

 「卯(う)の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」(夏は来ぬ)

 何という格調高い日本語であろう。子供が歌う歌であるにも関わらず、断じて幼稚ではなく、日本語の美しさに感銘を受ける。

 最近の歌を見てみる。

「花屋の店先に並んだ  いろんな花を見ていた  人それぞれ好みはあるけど  どれもみんなきれいだね  この中で誰が一番だなんて  争うこともしないで  バケツの中誇らしげに  しゃんと胸を張っている  それなのの僕ら人間は  どうしてこうも比べたがる  1人1人違うのにその中で  一番になりたがる  そうさ僕らは  世界にひとつだけの花  1人1人違う種を持つ  その花を咲かせることだけに  一生懸命になればいい」(世界にひとつだけの花)

 この歌詞の内容は真理をついているかもしれない。しかし、如何せん、万人が一度聞いてわかるように、極力易しいことばのみを用いて書かれている。だから、説明的な、冗漫な日本語になる。言葉は出来る限り短い方が印象的である。この歌は私にはどうしても幼稚に聞こえて、物足りない。最近の日本語は大抵、このレベルである。

 文部省の役人が唱歌を教科書からなくしたのは、言葉が難しくて、小学生には意味がわからないからだという。そんな馬鹿な話があるか。

 そもそも、分からない事を分かるようにするのが教育ではないか。子どもの頃に出来る限り格調高い日本語に触れる事が、高い言語表現力を身につけるために必要である。たとえ、子どもの頃は意味がわからなくても、いずれ分かるときが来る。

 教育は、低い方にレベルを合わせてはいけない。迎合してはいけない。


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