スカーレットの心のつぶやき
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2009年03月28日(土) 翁問答

この間の日曜日に

「日本の歴史に学ぶ会」の講演会があり

占部賢志先生が中江藤樹の「翁問答」について話された。

この「翁問答」は

師と弟子との問答とその説明をしている本だとのこと。

この中で

弟子の体充が師へ次のような質問をする。

体充:

 「身体髪膚を損傷しないのが孝行であるならば、軍陣で負傷し討死するのは不孝でしょうか?

と。

それに対して師がどのように答えたのか?

占部先生は自分で「翁問答」を読んで見つけてくださいと仰った。

家に帰って、本を買おうとアマゾン検索したら

何と、中古品でも8000円ほどするではないか。

岩波文庫から500円ほどで出ているというのに。

出版社はもう発行していないという。

だから、本屋に頼んでも手に入らない。

図書館で借りるしかないと思い

県立図書館の蔵書検索をしてみるとおいてあった。

でも、3月中は休館しているとのこと。

松山市立図書館へ問い合わせてみると

この文庫本はないが

「日本の名著」の中にあると言う。

でも、北条図書館にあるので取り寄せが必要だと言われた。

夫に言ってみた。

伊予市の図書館に「日本の名著11」の中に

この翁問答があるらしい。

早速、私が知りたい箇所をコピーして持って帰ってきてくれた。

以下がそれである。

夫がコピーしてくれたものを

PCに書き写した。

長いので読みづらいが

関心のある方はゆっくりと読んでみてほしい。

意味は分かりやすいと思うから。

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「翁問答」

体充:

 「身体髪膚を損傷しないのが孝行であるならば、軍陣で負傷し討死するのは不孝でしょうか?

師: 


「それは大きな心得違いである。

不義無道なことで損傷するのが不孝であると言う意である。


『孝経』に、「身体髪膚ハ之ヲ父母ニ受ク、敢ヘテ毀傷セザルハ孝の始メナリ」と教えられているが、この毀傷は、血肉の身体髪膚を損い破ることではない。

孝徳を損い破ることを意味している。

「仁ヲ害(そこな)ウ」(『孟子』梁恵王下篇)の害の字の意である。

血肉の身体髪膚のことではなくて、孝徳の形体のことである。

「仁ハ人ナリ」(『孟子』尽心下篇)と教えられた人の字の意であり、「形ト色トハ天性ナリ、惟り聖人ニシテ然ル後以テ形ヲ践ムベシ」

(『孟子』尽心上篇、形は血肉のすべてをいい、色は形の働くにつれて現われることで、この形と色には天の性が備わっていて当然の理の行われないというところはない。

しかし、常人は、形はあるがその理を踏み行うことができない。

ただ聖人は、これを踏みつくして、残すところがない。)と解き明かされた形色の字の意である。

この聖人の教えと賢人の手本の心は、人間の身体髪膚は本来天性の仁孝が凝り集まったものであることを示されたものである。

『孝経』に示された身体髪膚は、これを指しているのである。

だから、天性の仁孝の道を心に守り身に行う時は、たとい血肉の身体髪膚を損傷しても、不孝なことではなくて孝行である。

なぜというに、血肉の身体髪膚を損傷しても、天性の仁孝の身体髪膚を損傷しないからである。

「身ヲ殺シテ仁ヲ成ス」(『論語』衛霊公篇)と孔子がいわれたのは、この意である。

天性仁孝の道を心に守らず身に行わないで、悪逆無道である時は、たとい身は安全で毛一筋も損傷しなくとも、孝行ではなく不孝である。

血肉の身体髪膚を損傷しなくとも、天性仁孝の身体髪膚を損傷するからである。

曽子は次のようにいっている。
      
「戦陣ニ勇ナキハ孝ニ非ザルナリ」(『礼記』祭義篇)

この賢人の手本の意は、戦陣で武勇を励み、先駆けをして手柄を立てる場合には、疵を受け討死するのが孝行である。

もし、武勇を励まず手柄を立てない時は、たとい臆病の悪名を受けないまでも不孝であると、戒められた。

明の陳明卿(名は仁錫、号は芝台。天啓二年に進士。権臣魏忠賢に追われたが、のち南京国子祭酒となるは次のようにいっている。

「若シ曽子ノ心アラバ、即チ龍比(龍逢・比干)ノ身首分裂ト手ヲ啓キ足ヲ啓クト一般ナリ、然ラザルトキハ即チ牖下ニ老死スルモ亦刀鋸ノ僇辱ト何ンゾ異ナラン」

これは、曽子が臨終の時、門弟を呼んで、「予ガ手ヲ啓ケ、予ガ足ヲ啓ケ」といって、詩を引用して「敢ヘテ毀傷セザル」の心法を示されたことを『論語』に記してある。

曽子の本意は、血肉の身体髪膚を損傷しなかったことを示して、天性仁孝の身体髪膚をも損傷しなかったことを証明されたのであって、このことは『孝経』に教えられているとおりなのである。

しかるに、章句だけを教えている儒者が、曽子の本意を理解しないで、ただ血肉の身体髪膚を損傷しないことであると講説するので、陳氏はここに解明されたのである。

この語の意は、全孝の心法をよく受用すれば、竜逢は夏の桀王を諌め、比干は殷の紂王を諌めて、それぞれ殺されたが、つまり身体髪膚を切り破り身体と首が断たれたけれども、曽子が手足を啓いて一毛も損傷しないことを示したのと同じ孝行である。

もし、また全孝の心法をよく受用しない人が、八十歳九十歳まで齢老いてわが家の中で病死して毛一筋も損なわなくても、刀で切られ鋸でひかれるような刑罰にあった恥と同じことで、それは不孝であるという意である。

よくよく体認しなければならない。

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つまりは、孝をすればたとえ体を損傷しても、それは許される。

何も孝をしないで、生き続けることこそ恥であり不幸なのだと。

一般的に言われている

親にもらった体だから傷つけてはいけないというのは

間違いだということがわかった。

私は心臓の手術や他の手術でメスを入れている。

でも、公のために動こうとしているし

親孝行をしようとしているから

たとえ、傷つけていてもかわなかったのだと分かり安心した。

それにしても、

中江藤樹先生は素晴らしい人だと思う。


スカーレット