スカーレットの心のつぶやき
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今、私は江藤淳氏の「1946年憲法ーその拘束」という本を読んでいる。
内容的に難しく、何度も同じ箇所を読んでいて
なかなか前に進まないのだが、
昨日、読んだ箇所は内容的に興味深いものだった。
江藤氏は文学博士でもあり作家でもあるが
文芸批評もされていた。
所謂有名な作家との交流も深い。
三島由紀夫や大江健三郎や武田泰淳らと
書簡の交流もあったらし。
その中で、大江健三郎からの書簡を読み直して
昭和30年代の大江氏と昭和46年以降の大江氏の
天皇陛下に対する考え方や
大東亜戦争についての考えなどが
まるっきり変わってしまった感があると述べていた。
大江健三郎は愛媛県出身であり
娘と同じ高校を出ている。
そして、ノーベル文学賞も受賞しているが
大江氏の著書は正直苦手で
読んでいても途中で嫌になり投げ出してしまっている。
つまり完読したものがなかった。
それが、沖縄集団自決訴訟や教科書検定問題で
大江の著「沖縄ノート」を読むことになった。
問題点は読者に素直に伝わらない表現方法が取られているということだ。
すっと頭に入ってこない。
持って回った言い方をする。
どちらにでも解釈できる表現だから
言い逃れも出来るということで
その逃げ口をはじめから意識して書いているとさえ思った。
今回、江藤氏の本を読んでいて
江藤氏でさえ、大江健三郎が品のない書き方に
いつの間にか変わってしまったこと、
戦争で負けた日本国民をドレイという言葉で表していることに
疑問を持っているということを知り
私などが大江の作品を理解など出来ないことがわかった。
沖縄集団自決冤罪訴訟に敗訴した原告側の
訴えや大江に対する非難を読んでいると
確かに!と思えることが多い。
私にとって大江健三郎は永遠の謎であり
正直、ノーベル文学賞など受賞すべきではないと思う。
スカーレット
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