2006年10月23日(月)
土曜日。家族が出払っていることもあり、 恒例となった休日出勤の後は、ひとりで映画を観に行こうと思っていた。 公開されたばかりの「地下鉄(メトロ)に乗って」、18時20分の回。
ところが、いったん帰宅してみて、予想以上に疲労困憊している自分に気がついた。 というか、ソファにひっくり返ったらそのまま2時間ほど寝てしまった。 21時20分からのレイトショーにはまだ間に合うが、土曜のそれは好きじゃない。 どうせなら、人出の少ない日曜日のレイトショーがぼくはいい。
というわけで、雨の翌日曜日、気を取り直してぼかぁ行って来た。 でもって、ちょっと肩透かしを食らった気分で帰って来た。
なんつうか、設定にも展開にも演出にも、すべてに無理が感じられた。 一番イケナイのは、この映画の起点が現在=2006年ではないことだ。 昭和40年に生まれた子供が岡本綾って、おいおい、いったいいつの話なんだ? それにそもそも、終戦直後からつきあっている男との間に そんな頃になってから子供ができるか、ふつう?
まぁ、できなくはない。可能性としてはあるだろう。 しかしこれは、豊川悦司が蒼井優の兄であり、さらにその母が富司純子であるという 「フラガール」以上に無理で不自然な設定でないかい?
とかなんとか気にしだしたら、ほとんど感情移入できませんでした。 岡本綾の涙につられるはずだったんだろうなぁ、本来は。
しかし、これはあれか。 この映画の根底にあるのは親子の葛藤だのなんだのではなく、 つきつめれば、腹違いであっても兄妹は通じてはいかんのだということなのか。 なーんか、非常に焦点がぼやけた作品でした。 観ているこちらの語尾まで統一されないほどに。
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