母のタイムスリップ日記
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2014年03月17日(月) 主食1副食2…またぁ…。


母をデイに送り出した後に弟から電話があった。
叔母が亡くなったとの知らせだった。
叔母には先月末に桃の節句のカードを送って いとこからようやく施設にも慣れて洗濯ものを畳んだり 字を書いたり編み物をしたりしているとメールを受けたばかり。

おそらく急なことだったのだろうと想像できた。

夫は春になったら母を連れて故郷へ行きおばさんの所にもよってこようと提案されたばかりだった。

叔母だが父の弟の奥さんでおそらく93.4歳。
でも随分と可愛がって貰った。
娘が生まれる時にはおばさんが和式のパッチワークで書け布団を作ってくれた。幾度か賞を頂くほどの腕前だった。
今でも綿を外してパッチワークの分だけは残してある。

手作りの袋物や靴下カバー等も随分もらった。
母が認知症になってからはそれがさらに増していた。
母も編み物が得意だったので遠慮なさっていたのだろう。

うちの母は仕事をしていてテレビはあまり見なかったがおばさんは寺内貫太郎一家の樹木希林のマネが好きで「ジュリー…!!」なんておどけてみたりもしていた。
私が油絵を描いていると知ると「新築祝いに一枚描いてちょうだい」なんていわれて…。とりあえず送った。
新しいうちの立派な応接間に下手な絵を飾ってくれていて恐縮したこともあった。それが何年も飾ってあり恥ずかしかった。
描きなおそうとも思ったが幾度描いたって下手は下手なので…送り直すこともしなかった。

しかしなんともさみしい。
年上の方が順繰りと亡くなって行くのは順序というものだ。
年にも不足はない。
でもやはり残念だ。
母を知っている人がまた1人いなくなってしまった。

母が今生きていることにも感謝の気持ちでいっぱいになった。
97歳を生き抜いているということは簡単なことではないんだなと改めて感じた1日であった。

今日のデイでも昼食は主食1副食2と報告があった。傾眠があった故とのことだった。
「食べ物持たせたほうがいいでしょうかしら?」と聞いたら 「眠って口を開いてくれないから…」と言われた。
食事を下げるしそれ以後食べさせるということはないのだし…。
「おやつを食べさせてくれるならカロリーのあるものを持たせたいと思うのです」と言おうと思ったが言葉を飲み込んだ。
話して判ってくれる人ではないと観じたから。

あ!いかんいかん愚痴が零れそうだ。
それも止まらなくなりそう…。
もう少し様子見しようと思う。

夕食前に「お腹空いたでしょ」と言ったらコクリとうなずいた。
いつもより多めに食べてくれたので昼食分を少しは補えただろう。
食事がすんで「お腹いっぱいになったかな?」と聞くとコクリとまたうなずいた。「そりゃ良かったね。食べすぎたかな?」には返答なし。
休日中のよだれは 今日は消えている。






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