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2004年06月12日(土) たまには真面目な話を。

友人の日記に便乗して書こうかな。
小学生殺人についての私なりの感想。

結果から言ってしまえば、加害女児は死刑になるべきだと考えてます。
私の基本的な考え方はいたって単純なものです。
“目には目を、歯には歯を”古代のハンムラビ法ですね。
だから人を殺した人間は殺されるべきだと考えるわけです。

現実には少年法がありますし、1人殺しただけでは死刑になることはないでしょう。
ただ加害者本人の傷は残るでしょうね。
テレビや雑誌で殺人事件のドラマや報道を見ては自分のやったことを思い出し
軽々と「殺したい」「死ね」と口にする人に出会っては思い出す。
履歴書を書くたびに自分の過去に苦しむでしょう。
忘れたくても嗅ぎ回る報道陣に悩み、人の目を気にする一生が続く。
しかしそれは当然の結果です。
自分の犯した罪は自分が償わなければならない。

では犯した罪はどうしたら償えるでしょう。
刑に服す、毎日殺してしまった友人に手を合わせる、一生傷を背負って生きる。
様々なことが挙げられると思います。
しかし、私はそんなことで罪が償えるとは考えません。
犯した罪は自分も同じ痛みを味わうことでしか償えない。代わりはないのです。

どんな人間に対してもその考え方は変わりません。
子供であれ精神異常を持つ人であれ辛い経験をした人であれ。
どんな人間に対しても甘やかすつもりも責任を移行する気もありません。

私は「精神の未発達な子供のしたことは親の責任」という考え方を持ちません。
物心がついた時点でその人間には責任が生じます。
あなたは小学生のとき、人に悪口を言われて人を殺しましたか。
あなたは親の責任という盾に守られながら、人を殺す映画や小説を観て人を殺そうと思いましたか。

加害女児の将来を守らねば、と世間は言います。
加害女児の将来、そんなものがあるのでしょうか。
もっと冷たい言い方をしましょう。
人を殺した人間の未来を守る義務が私たちにあるのでしょうか。
殺された少女の未来は消えました。殺された少女の父親の未来は絶望に歪みました。
加害女児に守られた未来を平和に過ごす権利がありますか。


moi!