2015年11月07日(土) |
浜辺祐一『こちら救命センター』★★★☆☆ |
浜辺祐一『こちら救命センター』
もしも自分が医療の現場に携わっていたら、こんなセンセイのいる職場で働きたい、と思いました。厳しいけれど、あたたかい。
「けれど、ここでどうしても忘れてほしくないことが一つある。それは、病院での主役はあくまでも、患者さんだということである。医師や看護婦は、芝居でいえばただの通行人でしかない。われわれが、病気を治すのではない。病気を治そうとする主役をひき立たせる脇役でしかないのである。」(p17)
「どっかで人生に対する言い訳が欲しいんだ。愛を得たいがため、あるいは自分の失敗を自分自身に対して正当化するために人は病気になろうとする。だが彼らは気がついていない。そのごまかしの平安を得るために、どれほど自らの可能性を自らの手でつぶしてしまっているのか。どれほど大きな喜びを自らの手で遠ざけてしまっているのか、彼らは覆ってみようともしない。」(p27)
「医者が人を救うのではない。よくなっていく患者は患者自身でよくあんっていくのである。医者や看護婦はその手助けをしているにしか過ぎない。患者がよくなっていくように環境を整えているに過ぎない。」(p80-81)
これから医療の現場に出る方が、読まれるといいかもしれないなーと思いました。
「彼女たちには、立派すぎる看護婦にはなって欲しくない。偉すぎる看護婦にはなってもらいたくない。患者や患者の家族の手の届かないところにいる看護婦にはなってもらいたくない。 普通でいい。いや、普通がいい。普通の人がいいんだ。笑ったり、泣いたり、楽しんだり、悩んだり、怒ったり、わめいたりできる普通の人がいい。」(p100)
何か人を支える仕事、助ける仕事全般に言えるかもしれない。 立派すぎるプロが必ずしも効果的なわけではない。
「バカヤロウ!自分を大事にできない人間が、何で人のことを大事に思えるんだ、頭を冷やしてみなさい。そんな風に考えていたら、サトルも、あかあちゃんも、ご主人も、お嬢さんもみんなダメになってしまう。」(p148-149)
まず自分を大事にすること。 そうでなければ、誰も大事にすることなどできない。
「ひょっとするとこれは、われわれ医療関係者の悪いクセなのかもしれない。 あの患者さんにとって一番いいいことはこれなんだ、だから、患者さんは、われわれの思っているように変わらなければならない。いや、きっと変わってくれるに違いない。そうなることが正しいことなんだ。 往々にして、われわれはこうした幻想に陥ってしまうのである。 だが、看護というのは、人を押さえつけることではないし、相手を自分の思いどおりにかえてしまうことでもない。 にもかかわらず、われわれはついつい人を変えようとする。相手を自分の思うとおりに変えてしまおうとする。しかし残念ながら、人は変えられない。」(p174-175)
正しいことと、効果があることは、別。
「同じことの繰り返しでしかないと思い込んでいる日々の生活は、実は色々変化に富んだとてつもなくおもしろいものなのである。小説を読むよりもずっとおもしろいことが実際の身の回りで起こっている。ただそのことに我々自身が気がついていないだけなのかも知れないのだ。(略)そうしたことが、来る日も来る日も続いている。そんな毎日を退屈なものにするのも、逆にエキサイティングなものにするのも、実は我々自身なんだろう。」(p218)
一度の人生、一度の今日を、どう生きるかは自分次第。
浜辺祐一『こちら救命センター』
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