最近いろいろと母とは話す機会が多いです。 母方の祖母が入院してからいろいろ大変なようで。 この19年間円満だと思っていた親戚関係のドロドロした部分が露見し始めました。 私母のことは大好きですし尊敬もしているし可愛いヒトだとも思っております。 頭がいいわけじゃないけど考え方はスジが通っているし出来た人間だとも思います。(偉そうだな娘) 先日二人で会話をしていて改めてそう思いました。 祖母が入院してから母は結構溜まっているグチを私にしてくれるのでうれしく思ってます。因みに今までで一番多く聞いたことは弟の将来のコトです(笑)
それはそうと先日はグチられたのもありますがいつの間にやら思い出話を聞かされました。 母の実家(ウチから徒歩3分)は精肉店を営んでおります。祖父が興したものでして、母が子供のころはそらえらく繁盛していたらしいのですね。それなりにお金を持っていたらしいんです。そういや祖父が亡くなったときに男兄弟がそれぞれアパートを相続したような話を聞きました。(母は男3人女3人の6人兄妹の末っ子です)アパートを持っていたわりには店が借家なのが疑問なんですが。 母は色々と経験が豊富らしくなかなかたくさんの思い出話をよっく聴かされます。私がすっごい小さい頃布団に入りながら聞かされて眠らせてもらえなかったことがありました。 母の親兄弟の話はいつ聞いても楽しいです。因みに父の親兄弟はくわしく知らない上に確か親戚には蒸発してたり引きこもりとかもいるような話を聞きました。父は自分のことを話さない人なのでよく知りませんが。そんな二人が出会った場所がゲレンデの上なんて笑っちゃいます。
話ズレましたが先日聞いた話は実家の肉屋さんストーリーでした。 祖父は運送屋をやりたかったらしいのですが腰を痛めて断念。そこへ今店を貸してくださっている大家さんが「肉屋をやるなら店を貸してやる」を言ってきたそうです。祖父は「肉屋はやったことはないが豆腐屋なら経験はある」と返したところ「豆腐屋は必要ない。肉屋じゃないと貸さない」と言われ肉屋をやることにしたそうです。 思ったんですが、ジーサン簡単すぎませんか?それともそういう時代なんですか?さすがに戦争を経験してるヒトは違うな、と思いました。 まぁ、そんなワケで最初のうちは職人さんを雇って色々祖父も勉強したみたいです。やがて職人さんもいなくなり繁盛して人手が足りなくなったので祖父は新しく人を雇うことになりました。雇ったニーチャンは「なんていうかワルっぽいヒトだったよ」と母は楽しそうに話してくれました。 母「不良っていうかヒロポンやってて腕に注射のあとが一杯あったわ」 カアサンの思い出濃いよ!!?? まぁ、母はほんとに幼かったのでくっついて遊んでもらっていたらしいんですけど、上の兄弟とはよくケンカしてたと言ってました。 もうその方はお亡くなりになったようですが母の話は面白いなァと改めて思います。
それと母の思い出話を聞くといつも祖父の偉大さを感じます。 私の記憶の中のおじいちゃんはすっごく優しくて遊んでくれていつも「はとぽっぽ」の歌を歌ってくれました。 子供には厳しい父親でしたが孫には甘い祖父でした。 なんていうかすっごく会いたいです。無理だけど。 もっとおじいちゃんといろんなコト話したかったなぁ…
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