経る時・・・

もくじかこみらい

日が経ちました。「経る時・・・。」を書き始めて 日目です。


2003年02月08日(土) 祖母の四十九日法要

早いもので、もう四十九日。実家は西新井大師が菩提寺なので、
西新井大師の光明殿でおこなわれた。

年忌法要は、日本独特の風習だけれども、自分としては、ある意味否定的でもあり、肯定的でもある。

自分の父の法要の時にも感じるのだが、なぜ集まるのか、故人の話などしている人など殆どいない。
そんな話そっちのけで、パチンコの話、ゴルフの話とにぎやかである。
たまにしか会わないのだったらそれもいいだろう。

年中顔をを会わせているのだったら話すことは他にあるのではないか?
いつもそんな憤りを感じながら参加している。


まして、肌で感じるのだが、大きな法要、立派な法要はステイタスのようなのだ。
葬式もそうだったが、立派に出したのはいいとしよう。
でも、金額がいくらだの、いくらかかっただの、どうでもいいことだと思う。
都内だが、一族が密集して住んでいるので、周りとの見栄の張り合いは未だに続いている。
右へならえで、門前の割烹で、やったりするのだ。十七日会だ、無尽だといつもそんなことばかり。


来年の春、父方の祖母の三十三回忌と父の七回忌。これは私が施主となるはず。

故人のことを思ってくれるごく一部の身内だけで、ひっそりととりおこなう
と告げたら、親戚連中は、どんな反応を示すだろうか・・・。


酒井家の、檀徒継承権を継いだのはこの私である。酒井家の墓を護って
いくのは私の仕事。父が作った墓だから、私が好きなようにやらせてもらう。

勤めてから亡くなるまで、毎日顔を合わせていた父に寄せる気持ちは、
他の兄弟よりも強いのだろう。
病気になって、病院に行き来するとき、2階から車まで背負って連れて
行った。軽くなっていく父。終いには、肩を掴んでもくれなくなり、
そんな父を背中で感じていたのだから、父に寄せる気持ちも大きいのだろう。


信心深い方ではなく、祖先がどうのこうのというつもりも全くない。

でも、自分を生み育ててくれた父や母にだけは、精一杯の気持ちを
たとえいなくなっても注いでいきたいと私は思う。




BGM: REINCANATION 松任谷由実


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