経る時・・・

もくじかこみらい

日が経ちました。「経る時・・・。」を書き始めて 日目です。


2001年11月25日(日) 嵐の予感・・・

朝まで、眠れなかった。昼間メールしたら、彼女も寝ないで会社に行ったらしい^^;

8月になって、あちこち、出かける。富士山とか。平日の夜にも、待ち合わせて
食事したり。ディズニーシーのプレビューにも行った。

だか、人の心というのは難しいもの。

AB夫妻には、感謝の気持ちを伝えたんだけど、
「Sさん当人にから友人として、一言、言葉が聞きたい。
いろいろ、必死で引き留めたけど、なにも当人の気持ちが伝わってこない」
「Sさんに告白した事実を我々が知ってるのをSさんは承知しているのか?」
「5月の一件以来、Sさんにはっきりものがいえない」等、態度が変化・・・。

まだ、傷が癒えないうちに、いきなりは難しい。それを理解してもらえない。

でも、実際、会って話すと、私たちのことをからかうだけ・・・。

このころから、AB夫妻と考え方のすれ違いが明らかになってきた。

私は、Sさんに対して、○氏事件^^;を解決してやったとか、救ってやった
などという気持ちは、ひとかけらも無い。ショックだった。友達として、
そんな風に思っていたとは。損得でつき合っている訳ではない。

私たちが、手をつながなかったり、離れて歩いたりしているのを、変だとか、
早く大人の関係になれと、「干渉」し始めた。大きなお世話(--;

今でも、感謝の気持ちは変わらない。でも、元通りにはなれない。
十人十色、それぞれ、人は違うんだよね。彼ら夫婦のベクトルは、同じ方向を
向いているけれど、僕ら2人のベクトルとは、少し方向が違うんだ。きっと。



○氏からの連絡が、私に入るようになる。電話・メール等。
9月上旬のこと。

この時点では、○氏のことを、排除するつもりは無かった。ただ、静かにして
いてくれれば、Sさんは、辛いだろうが、表面上は、他のメンバーにも、ことの
真相はわからず、普通につき合っていけるかな?と思ってた。

○氏にとっては、私のサークルは、親友を亡くしてから、唯一の拠り所。
Sさんは、メールの着信を拒否しているし、謝罪すら、受け入れてもらえない
状態。私しか、コンタクトをとるところがなかった。強がりだろうが、私への
メール攻撃が始まった。Sさんの誹謗中傷・私の背後にSさんの存在を感じ、
Sさんの秘密を握っているかのような、いやな書き方(何も無いけどね^^;)

意を決し、旧主宰者のK夫妻に、今までの経緯を報告。相談に乗ってもらう。
信頼して、すべて任すという。Sさんを引き留めてくれてありがとうと。

サークルへの出入り拒否措置発動。通告する。が、返事が無い・・・。

○氏は、北海道に、死にに行っていたらしいのだった。死ぬと行って、死ぬ奴は
いない^^; 非常に長文の、言い訳メールをいただく。なぜ、死ななければな
らんのだ? 新聞の社会面にでも載られても迷惑。

9/7 おそらく、○氏の勤務先の武蔵小杉の駅。○氏から、公衆電話から
私の携帯に電話。泣きながら、「死んじゃえばよかった」と泣き崩れている。
彼としては、3月以来、Sさんへの謝罪もかなわず、サークルにも戻れず、
AB夫妻、私から、最後通告を突きつけられ、行き場が無くなったらしい。
でも、本心から、謝罪の気持ちがあったら、私に気持ちを託すなり、手紙という
方法も有ったろうに・・・。そう言うと、「それでよかったんですか?」と涙声。

アホか! 自分の心次第だろうに・・・。やはりダメだ。こいつ(--)

彼に伝える・・・。6/9の時点で、主宰者としても、友人としても、君を、責めて
罵倒することもできた。ただ、静かにしていて、Sさんに危害を加えなければ、
それでよかった。でも、君がじたばたしてしまったから、サークルメンバーの
知れることとなってしまった。もう、サークルには、戻れないと。

そこで、初めて、「Sさんと交際」していることを伝える。観念したようだ。
もう一切関わらないと確約させて、電話を切る。

それ以後、彼とは、連絡を取っていない。存在が消えた。自宅の前まで行って、
部屋の灯りがついているので、少し安心。

メールを出しても、読まないところを見ると、パソコン通信から離れたのかも知
れない。その後、彼は、イベント等にも現れなくなった。

苦渋の決断だった。関わってから、半年。これでよかったのだろうか・・・。
未だに、悩むところでは有る。

今日で、つき合って、ちょうど4ヶ月。嵐のような日々。

まだ、恋人同士という感じはしない。友達以上、恋人未満か・・・。
でも、こんな関係が有ってもいいと思う。




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