言葉のサラダ
黄と藍



 死について考える

最近死についてよく考える。
いや、べつにあの人が原因てわけでなくて。
なんだかただ、漠然と。
死への恐怖だとかそーゆうのはあんまり考えなくて、
例えばこの車にはねられたらどのくらい怪我してどのくらい入院して、
それから…死ぬ事もあるんだろうな、とか。
死にたいわけじゃないんですが。
ただふとしたときに考えてるのが死についてで。
もし誰々が死んだらどうなるんだろうとか、
その人の周りはどうなるんだろうとか、
その人の影響を受けるはずだったもの達はどうなるんだろうとか。
結局全てはそのままなのかもしれない。
でももしかしたら見えないところではものすごい勢いで変化していくのかもしれない。
実際よくわかんない。
よくわかんないからかんがえてる。

人は死に恐怖する。
だからホラーでは謎と死を繋げようとする。
呪いとかそんな形のない恐怖と死を繋げて怖がる。
人は死んだ事がない。だから怖いんだ。


なんかの小説の冒頭にあった詩が印象的だった。
▽▽▽

目を覚ませ、大人たちよ

△△△
というのが一行目だった。
それからこう続いてゆく。
▽▽▽

自分たちが人間の完成した形であり、
それに比べて子供は不完全な存在だ、
という理屈は、
死んだ人間が完成した姿であり、
生きているものはすべて不完全だ
といっているのと等しい。

△△△
なるほどな、と思った。
つまり作者は子供も生きている人間も否定していないということだ。
全てを引用したいがなんだか、揉めたら嫌なので書名だけ紹介しておく。
「ナ・バ・テア」。兄の持っていた本だ。
中央公論新社から出ている、夕日が美しいハードカバーの表紙だ。
その先の詩にも死を扱っている。
だから印象深かったのだろう。


さっき気づいたが至るところに引っかき傷があるのは何故だろう。

2004年09月08日(水)
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