2003年08月11日(月) :
中国帝王紀
中国の皇帝を主人公にして、物語を書いてみたいなーと思うのは、後漢・光武帝劉秀と、唐・太宗李世民。 (しかし、光武帝って一発で変換できたよ!) 光武帝は、光武二十八将。唐太宗にも、李靖、秦叔宝、尉遅敬徳、李勣、などの数々の名将が配下に居て、群雄像としても魅力的なわけです。 また、光武帝は、楽浪郡を設置して、あの「漢委那国王」の金印を日本にもたらした皇帝です。ただ、いまいち日本で有名でないのは、効果的な宣伝文書、すなわち『項羽と劉邦』や『三国志』みたいな小説が書かれてないせいでしょうが。塚本�愡忙瓩�『後漢光武帝』を、つい最近に出版したけど、読んでないんで大きいことは言えませんが。 後漢を再興した、というだけでなく、光武帝は「隴を得てまた蜀を望む」や「柔よく剛を制す」、「矍鑠」という言葉を残した人でもあります。功臣を粛清しなかった、という点も含み、もっと評価されてしかるべき皇帝でないか、と思います。苦労して皇帝になった人であるし、陰麗華とのロマンスもあるし(笑)。
で、唐宗李世民は、『隋唐演義』が訳されたり、『西遊記』にも登場してたりで、そこそこ知名度はあると思いますが。「貞観の治」も。 ただ、自分で書くなら、きっと玄武門の変で止めちゃうだろうなあ、とか。 そしたら、魏徴の「人生意気に感ず」の出る幕がないんですけど。出る幕がないと言えば、薛仁貴もですが。 やっぱり、年取ると、名君もある程度、衰えちゃうしねー。
どっちにしても、「王朝建国記」を書きたいんだと思います、私。
宋・太祖趙匡胤に関しては、『華京』で耿允尋として触れてるしなー。 光武帝も、唐太宗も、こっちのフィールドに持って来てもいいんですが、それはそれで、昇華させるのが大変そうだ(おい……)。
フィールド移動なしで考えてるのは、春秋戦国時代の楚について、小説の形にできねーかなー、と実は論文書いてるときから思ってたりもしますが。 楚という国は、『史記』の蛮夷、という記述のせいで、かなり割を食ってるんですよね、知名度的に。 古代中国において、所謂中原の黄河流域と、長江流域では、発祥文明が違うので、考え方なんかも、当然違うわけですよ。 楚擁護と共に、論文のために集めた資料を何とか生かせないか、と邪悪なことを目論んでいるわけですが。ああそうそう、擁護といえば、伍子胥に鞭打たれた平王。伍子胥という人は人気があるので、平王は馬鹿殿扱いされがちですが、楚史的には、平王は評価が高い王である、ということを書ければな、と。
……無闇に裾野を広げる真似はしませんが、現在。 単なる野望です。聞き流してくだされ……。
|