あたしは鳥籠の中のカナリヤ。
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2006年12月14日(木) 望みは妥協。

今日もどこかで誰かが悩んで苦しんでいる。
されど、今日もどこかで誰かが楽しんだりして喜んでいる。

あたしはまた煙に頼っている。
アルバイトをし始めるとどうも頼ってしまう傾向にある。
ま、吸って乗り越えられるならいいだろ。
なんたって、とっくに未成年じゃなくなったんだからね。
でも母親はあたしのその行動に大反対。
だから親の前では吸わないことにしている。
吸わないのは親の前だけじゃない。
男性の前や大学の友達やらの前では吸わないようにしている。
あたしの見た目からそうゆうのは似合わない(って言われた)から、
一人っきりでいるときや地元以外の外出先で吸っている。
こんなあたしの行動は馬鹿馬鹿しくもあるが、これがあれば大丈夫って存在はデカイと思う。
から、なかなか手放したままにはできない。

なんでも受け入れることのできる器がほしい。
許せる。
妥協する。
嫌わない。
厭な顔一つしないことができたらいいのに。
それに、そんな器があれば、いちいちくよくよしたり嫌悪しなくても済むのではなかろうか。
あたしは、ある瞬間、みるみると自分の器が小さくなるのを感じる。
あたしはなんて心が狭いんだと、悔しい思いさえこみ上げる。
何の感情も起こさずに、物事を受け入れることができたらいいのだけれど。
よっぽど難しい。


朝子 |MAIL

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