ジョージ北峰の日記
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2002年04月08日(月) サクラ

京都は春になると、所謂、春霞のため東山連峰が、空ににじんだような稜線を描き、曙を背景にしたその山並みは北山から望むとさながら墨絵のように見える。しかし、サクラの名所岡崎公園に近づくにつれ、東山の連峰の起伏が明瞭となり、芽を吹き出したばかりの木々の若葉が、まだ眠りから覚めやらぬ常緑樹林を押しのけ合間から顔を覗かそうとする姿が見え始める。あたかも動物が毛代わりする様な観である。そして南禅寺の森、平安神宮の鳥居、そのすぐ端をゆったと流れる疎水へと眺めは展開する。サクラはそのような背景を充分意識し、疎水の石垣沿いに植樹され、自然美の中に溶け込み日本画の一角を担うよう配置されている。
   優しい風、
   春の日差しにほのかな香りを漂わせ
   サクラの枝は揺らめき、時に水面にしなだれる。
   満開時には、緑の水面にその姿を惜しげもなく曝し、
   風に促され、恥じらいながら戯れる花と漣。
   あたかも恋人同士の語らいのよう。
   散り行く花、
   流れ去る花びら、
   失恋にも似た悲しさを覚える。
サクラは日本人にとっては、喜びであり、悲しみであり、寂しさであり、誇りである。人生そのものである。いや、もっともっと大きな存在であるかもしれない。昔から、戦人は戦いに勝っても負けても、自分の置かれた状況をサクラに喩えて、身を引き締めたり、また諦めたりした。サクラの魅力は、尊敬していた兄がいつも言っていたことだが、ぱっと咲いて、短期間の寿命を精一杯謳歌する、そして潔く散る。散った花びらは決してしおれていない、散ってなお毅然としている、そこだ、と言うのである。兄は、そんなサクラの花のような人生を望んでいた。年齢で予科練に入学出来なかったことを悔やんでいた。兄は交通事故に巻き込まれて死んだが、兄らしい死に方だったのかもしれない。しかし兄は生前、意識していたかどうかは知らないが精一杯努力し、家族のため、人のため、自分の美学を守って人生を謳歌していたように思う。サクラを愛していた兄。サクラの季節になると、いつも思い出してしまうのである。少しセンチメンタルな話になったが、花見に出かけ、お酒を飲み、ドンチャン騒ぎを楽しむ人達もまた、それぞれの思いがあってサクラを見ているのでは、と考える。
 サクラは、人と共に生きる植物のように思える。大切にされている木は、やはり捨て去られた野山のサクラより生き生き見えるのである。最近、都会のサクラは、高層ビルの陰に隠れ、周囲の木々、仲間の無い所で寂しそうに咲いたり、(偏見かもしれないが)虐待とまでは言わずとも無視されているように見受けられる。都市の近代化が、日本人の伝統的な心を奪ってしまったのではないかと疑いたくなるような光景が見られるのである。日本の伝統がすべて素晴らしいとは考えていないが、良いところが失われていくのも寂しい。


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