
min's Rambling words
みん
MAIL
|
 |
| 2003年09月15日(月) ■ |
 |
| いいから黙ってついてきな(今日からヨブ記に入ってみますヨー。 |
 |
今週は仕事が超楽。なのでビデオを見る。 エレミヤ全二巻とエステル全二巻。すげかった。 それにしてもむかしっから思ってはいたことだがこうして映像で見るとアハシュエロス王ちゅーのはほんとにてめえではなんもしないな。そしてわたしのイメージしていたよりモルデカイが狡猾そうで参った。あんなにいいおじちゃんっぽい人だとおもっていたのに。 しかしこれで娼婦ベロニカを思い出すのは間違いすぎだ私、と思うのだが、でも彼女も知恵の人であったよね。モーセもみたいな。あとアブラハムがイサクをささげようとするところ。記述ではわからないけれどあれ、なんという悲しみだろう。あれ見たい。
このタイプのビデオと言うのはいつも凄いちゃちいの。演技が駄目で演出が駄目で脚本が駄目でどんだけ手ぇ抜いてんねん、というかんじなのね。それで私はそういうのが許せない人間なので、見ることができないんだね。こう、腹が立ってくるのだ。でもこれは、そういう技術面がいままでにない高さだと思った。ただ楽しむことができると言うのは、つまり粗が見えなかったということだ。少なくとも私程度のめがねにはかなうレベルであったので、このジャンルにはめずらしかと思った。私のめがねちゅうのもまたずいぶんレベルのひっくい話だが(笑 ひとつがっちょーーー短いんだけど、なんか結構満足できるんだよな。ふしぎ。しかしエレミヤのはちょっと泣きそうになった。わたしはまだこどもです。畏れのなんとすさまじいことか。そして胸から出る炎の熱さのなんと力強いことか。 私のことばを語れと あなたが言った。
お、ここで売ってますな。でもね…酷い言い草とわかってはいるけどいわせてこのれびぅつまんなさそうだYO!申し訳ないがこのレビューを参考にしないでくれといいたい。エレミヤの…レビューが……あんまりだ………!
だからさ…思うんだよね、キリスト教企業は信仰ということばに甘えてるんじゃないのかとかさ。 商売する気がないんだ。なんつうのか、儲けるとか、そういうことではなくてさ。 それこそ信仰というのは金がなくても何とかなるちゅーか。 なるんですよこれが(体験談さ。 それは売れなくてもいいということではない、あ、薄利多売ちゅーんですねこれ。 人事なので毒を吐きますが信仰というのはろくでもないもん作っても主が働けば売れるじゃなくて(そんなもな詐欺じゃ)主の働きによって売れるものが作れて売れてそれがあまりに安くてちっとも儲からなくてもどういうわけだか生活と製作にたるだけのお金がどっからかきてしまうことを疑わずにおれることだと思うのだね。キリスト教の信仰というのは自分がどんだけ無力であるかということを知ることで、自分で動くことのなんちゅう無駄さよ、ちゅうもんで。習字の先生が自分の手を動かしてくれてるときには自分はなすがままになっておらんと結局奇麗にかけないんだな、という。じぶんがどんだけ字がへっっっっったくそかということを知ることから始まるんじゃないでしょうか。そしたら、自分は力を抜くだけでいいんだね!とわかるのだがそれがなかなかむつかしいのね。で、奇麗な字をかくために必要なのは他のどんな技術も邪魔で、ただ力を抜くことだけで。で、ここまでかいて言いたいことというのがこれだけなんだが、まえふと思ったのだ。
あ、私になにか力があるとしたら、それはただひとつで、「信じる」ことだけなんだわ。
と。
私が彼を信じてそれによって様々の素晴らしいことが起こったとき、それがあまりにも自分の力じゃなくて、けれど確かに私の行動が引き金で、それでそう思ったのだ。 ああ、彼を信じるということは力だなあ、と。信じることが私の力だなあ、と。 けして信じるという行為によって自信をつけるとか安心することじゃなくて、信じることでがけっぷちですら彼にだらーっとよっかかってしまうという、その信仰の強さ。彼が私を投げ出したり、支えきれないわけないじゃーん、という無条件の信用。そういうのが、それだけが私の力。
他には何もなくて、そしていまそれすらもなくて、だから私は力が欲しいなあ、と思った。 あなたに依り頼んで脱力するような、何よりも強いちからがさ。
みさきさんのHOLYMAGICも、これとは違うけれど信じる=力という構図はおなじだなあ。………いかんもう次を考えなくてはいけないよ……。いや、ネーム描こうとしたんですよ。そんで五頁くらいかいたんですけどね………………………ねむくて<マタカ
まじで(涙
最近ヨブってどういうひとなんかなーと凄く思うので、読んでもわからんので次はヨブ記にしてみる。書いてもわからんだろうがいいのだ。そんなことはわりとどうでもいいのだ(どうでもか * ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神をおそれ、悪に遠ざかった。彼に男の子7人と女の子3人があり、その家畜は羊7000頭、らくだ3000頭、牛500くびき、雌ろば500頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなるものであった。その息子たちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。 * 1:1〜4
無駄なことは何もないのではない。全てが計画のうちに起こっているのではない。 無駄なことをも益に、計画になかったことも計画に組み込むことができるひとなだけだ。 わたしたちはすぐに間違う。 自分の行いが全てはじめから益であったなんて、ただの逃げだ。 そうでなきゃ驕りだよ。
|
|