テキスト倉庫
DiaryINDEX|past|will
アジトの長い廊下を自室へ向かう途中で、ヒートは何度か声をかけられたが、立ち止まらなかった。戦闘後で疲れているし、どうせ、大した用件ではない。トライブ内の重要事項は、すべてサーフかゲイルの元へ直接報告するものと決められている。情報を正しく伝えるためには、なるべく人を介さない方がいいからだ。だから、適当に聞き流してもさほど問題ではないだろう。 「ヒート」
だが、ふいに届いた声に、ヒートはぴたりと足を止めた。否、反射的に止まったと言う方が正しい。 疲れている。血で汚れたスーツもなんとかしたいし、なによりもまず眠りたい。誰とも話などしたくない。したくないのだが。 軽い溜息と共に、ゆるゆると顔を向ける。廊下の角の壁にもたれ掛かるようにして、サーフが立っていた。
「お疲れ」 「皮肉か」 「違うよ」 「…何の、用だ」
身体だけでなく、発した声まで重く感じられる。不得手な敵が多かったためだろうか。一刻も早く、部屋に戻りたい。だが、ヒートの足は動きを止めたままだ。
「別に、取り立てて言うほどの用は…」 「じゃあ、呼ぶな」 「用がなきゃ、呼んじゃいけないのか」
まるで子供の会話のようだと、重い頭でぼんやりとヒートは思う。尤も、子供がどんな会話をするものか、問われれば答えられないだろう。ただ何となく、そう思っただけだ。 ヒートは頭を振った。
「生憎、お前の気紛れに付き合ってやるほど暇じゃねえんだ」 「それなら無視すればいい」
呼び止めておいて随分な言い種ではあるが、確かにその通りなのだろう。普段あえて口にはしないが、実際はサーフはトライブ内のことによく気を遣っている。重要な話なら、こんな所で適当に声をかけたりしない。だから、本当は無視してもよかったのだ。 だが、それが出来ない事も、ヒートは知っていた。
まだ自分が空っぽだった頃。 ただ掟に従って戦闘を繰り返すだけの毎日だった頃、ヒートにとって、サーフの声は絶対的な力を持っていた。サーフの唇から紡がれる命令を遂行する事が、自分の存在意義だったのだ。
その声で、名を呼ばれる事が。
「何もないなら、行くぜ」 「ああ。探索を頼んだのは俺なのに、疲れているところを悪かった」
ジャンクヤードを縛っていた掟は、すでに潰え去った。今やニルヴァーナを目指しているのは、掟のためでもトライブのためでもなく、自分の意志だ。もう「ボス」に従う必要はない。ないはずだった。 佇むサーフの横を無言で通り過ぎて、薄暗い廊下を自室へと急ぐ。今度こそ―。
「…ヒート」
足が、止まった。 決して大きくも強くもない、ややもすれば雨の音にさえかき消されてしまいそうな、静かな声。 「おやすみ」
コツコツと小さな足音が遠ざかっても、ヒートはその場から動かなかった。
かつて、そう遠くない昔、
その声で名を呼ばれる事だけが、自分の全てだった。
END
突然ですが随分前に書いてあったDDSATもの。 ひっそり別サイトでも作って…と思ってたんだけど 結局そのままになっていたのでここに。 わかる人だけ…すいません。 私はゲイサフなんですけど、これはサフヒトです。 書きやすいんだよな。
hidali
|