Kyoto Sanga Sketch Book
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2003年11月29日(土) 【G大阪戦2nd最終節】降格決定〜雨。未来に帰る為のコール

「一年で帰って来い!」雨に濡れる万博のスタンド。男が叫んだ。
イレブンはうつむいたまま、ゲートに向かって行く。
アウェイゴール裏からのコールが、儀式のように繰りかえされる中、
沸き起こるサンガサポの沢山の負の感情を、降り注ぐ雨が静かに吸い取っていた。


シーズン前、
サポーターは「残留」を最低目標に掲げた。1,2年は賭けなのは判っていた。
評論家は「中位」と予想した。
クラブと選手は「優勝」を口にした。

一致するのは、可能なだけ上位に行く事。そして、新たに躍進する選手の出現を待つ事。
そんなシーズンが終了した。結果は「J2降格」だった。






風邪で発熱。アウェイ側メイン席から最後の試合を観戦した。

2ndに入り、上位に凌ぎ中位以下に負ける。
試合前のJ1残留の条件は、
「仙台が大分に1点差をつけて勝った場合、京都はガンバに5点差をつけて勝つ事。
もし両チームがドローなら…京都は19点差をつけて勝つ。」

…現実的に5得点差や19得点差なんて不可能。それでも来年の為に何かドラマを見たかった。



この日もサンガがボールを保持してゲームは始まる。
19本のシュートでしたか?
「この調子なら、余裕で5点ぐらい取れそう(笑)」と冗談を言えるぐらい。

びっしり詰まったアウェイのゴール裏は
上半身裸のサポーター達を中心にほぼ総立ちで応援し、
ピッチ上では超攻撃的な、無茶な布陣で選手たちが走っている。



前半17分。サンガが受けたほぼ初めてのシュート。
GK上野の弾いた球をガンバ、マグロンがゴール。



それから後、次々失点していくさまを、
近くで流される涙をよそに、自分で驚く程乾いた目で見ていた。
それでもサポーターの応援は凄まじかった。
「サンガサポ、変わったな…。」

試合の流れと関係なく、どんどん切られる攻撃的なカード。
オフェンシブな選手が次々入っていく。

一年前の残像、黒部と松井の姿、そして人が変わったように走っていた田原。
ゴールを守るたった二枚になったDF、手島と和裕。
だんだん激しくなる雨粒の向こう、かぶさる大勢の声が「京都」と叫んでいる。

それらを、赤紫の雨カッパで占めたアウェイ側メイン席から、
目をそらせたい、でも抱き締めたくなるような気持ちで見ていた。
元旦から1年がたとうとしている。

しかし点差は開く一方。
冷たい雨は次第に激しさを増していった。





シーズンは終わった。
若手育成の大きな構想の中で狂った歯車。
期待に答えられなかったのは選手監督ら「現場の責任」。
それを補強や監督の的確な人選、交代で整えられなかったのは「フロント側の責任」。

アウェイゴール裏は3年前の”あの時の私達”のように泣いてたのかもしれないけど。
2回目の私の頭は「J2でどれだけ戦えるか」で一杯。

確かに天皇杯チャンプの印、肩のヤタ烏が恥ずかしい。
こんなもの、剥ぎ取りたい。

するとガンバ側ゴール裏の一部から「J2〜♪J2〜♪」と囃し声が聞こえて来た。
その能天気な子供っぽさに笑ってしまった。
「ノンタイトルのチームに言われても、痛くも痒くもないわ〜(笑)。」


でも総監督の言葉を信じるなら、この時。
雨の中、ゴール裏から美しい京都コールが響いていた時。
選手たちは皆、悔しさに、ロッカールームで声をあげて泣いていた。
もしそれを知る事ができたなら、私も涙を流せたかもしれない。



あのPKの失敗がなかったら。。
あのシュート数で遥かに上回った試合で勝っていたら。。
あのロスタイムでの失点がなかったら。。そのうち一つでも…

「こんな無茶な試合をしなくて良かったのに。」
そんな声が遠くで聞こえてきた。








〜〜〜2003年シーズン総括(いつかの為に)〜〜〜〜

1stステージ エンゲルス監督→木村総監督 3−4−3 
前シーズンと同じ、縦へのスピーディな攻撃を目指す。
層の薄いまま補強に失敗。その上攻守の両主力を怪我で欠き大量失点が続く。

2ndステージ ピム監督→木村総監督 4−4−2
対戦相手によってがらりと変える戦術。
基本的には、高いDFラインを攻撃の起点とし、
両サイドを使った組織的サッカーを目指す。

しかし戦術が浸透し、攻撃のバリエーションも見られ始めた頃、
新監督についてある小国の来期代表監督に就任する事が海外メディアから伝わったり、
納得のいかない同国人FW起用が続いたりで、選手の不満がスポ記事で伝えられたり)
その後、悉く下位対決に負ける。(今期2度目の監督解任)

特徴的なのは2nd、敗れたのは、何故か7位以下のチームだけ。
(上位6チームには全て勝つか引き分けるかできた)
戦術及び個々の選手のタイプとしてカウンター戦術に弱い上、
「去年のような挑戦者の気持ちになれるチーム」と「そうでないチーム」
のモチベーションの差があった…らしい。

どうも自分らの実力を某紙予想と同様「7位」と踏んでたよう(笑)。
(せめて勘違いでも8位か9位にしてたら…残留できたのに)

選手個人に目を向けると補強が現チームに合わず、
外人助っ人は質、若しくはコンディションに問題が。
(使えたのがビジュだけなんて)

しかし、サンガの歴史の中では”名目上”選手が一番評価された年。
今年はA代表にサンガ育ちの三人、
黒部が3回、松井が2回、手島3回と次々と初召集された(黒部と松井は出場も)。
五輪代表でも松井が10番に定着。
ユース代表の角田も飛び級で五輪代表戦(U22)に出場。

タイトルホルダーとはこういう事か、と実感した(も〜色んな立場を経験しすぎ〜)。
クラブとしての他からの注目度。代表選出、メディアへの露出。
チームを問わないサッカーファンからの多くの激励。
そして…各メディアによってバラバラなサンガの印象(笑)。

(その辺すごく複雑な気分。
タイトルをとった翌年のチームだからこそ気付いた事を暇ができたら書いてみよかな)


年間総合16位。J2に再度降格。




よく海外サッカーファン達に慰められる。
「世界的に見れば、上がったり下がったりのエレベーターチームも珍しくないって。」









……だから、ウチのチームが”それ”だとは思わなかったんだってば。

今年の元旦が益だったか害だったか判るのは、多分あと数年後。




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