薔薇抄 *Rose Show*
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| 2007年08月27日(月) |
だって麗しいのはザラにないの |
一週間あると、割といろんなことが起きたりしている模様ですね。特にこの夏は。
唐突ですが、たぶん、わたしが一番好きなことは、というか熱心なことは、日本語の研究なのです。 まだまだ勉強不足故、感情や思考を余すところなく的確に完璧に表現するに足りる語彙など持っておらず、自分の不勉強を棚に上げて、本当にそれら全てを賄う言葉が存在するのかどうかさえ疑ったりしている訳ですが、言葉というものはまた、世界的な約束事であり、最大公約数として存在しているようにも思うので、果たしてその約し切れなかった部分に関しては、諦めるより他ないのだ、とも、ぼんやりと思っています。 何かを言語化したいときというのは、それは決まって感情や衝動や思考や、自分の内に湧き出したものが出口を求めて溢れ返ったたときではないでしょうか。だからその溢れるスピードに、いつも言葉は追いつかず、溢れ出て流れて逝ってしまったものを後からどうにか説明しようとしても、旬も純度も奪われてしまったような、少し興ざめた思いを拭えないままに、そのときのベストを目指すしかない。その違和感を、虚しさを、落胆を、少しでも減らしたくて、日夜研究に励むわけです。 あなたとの会話も。それは言葉が最も大切な、役割を果たすときだから。 そう。 自分の考えを、感動を、相手に伝えようと思ったら、絵描きでも音楽家でもないわたしは、とりあえず言葉で何とかすることを考えるわけです。無謀にも。上手く使えなどしないくせに。 相手に直接伝えようとするなら、できれば簡単で、率直で、長くない言葉がいい。当然わたしも知っていて、当然相手も知っている言葉で、なんとかしたい。 そうなるといつも、たいていとても端的で、繰り返し同じ言葉しか登場しなかったりするのですが。 でも、実際そのようにして口から出た言葉は、何十年にも渡る研究成果か、それなりに用は成している手応えはあります。 誤解などない。 何も違わない。 ちゃんと通じている。 しあわせなことに、いつも実感するのです。 そして更に、あろうことか、相手がわたしの話を、言葉を、真意を、わたしが望んだ以上に理解しようとしてくれていることさえも。 ここ数年、ずっと感じていたこのしあわせは、年々確実に体積を増しているように思えます。 だって、そう。最大公約数で割り切れなかったものなど、言葉にならなかったものなど、この手になくても、わたしはしあわせでいられたから。 そもそもその、言葉にならなかったものなど、本当にあったのかどうかさえ怪しい。大切なのはそこではないから、言葉にならなかったのではないかと。そんなものが与える違和感など、いくらでも殺せたのです。最初からなかったことに、してしまえたのです。 個人と個人は個々であるので、相違が生じて然るべき。 違う部分が多々あるなかで、奇跡の様に一致したものが、いつでも素敵なものであるから、間違いなく世界は輝いていると実感できました。
ところがぎっちょん。
まさか。 まっさかまさか、ひょっとすると、だよ? 言葉にできるできないに関わらず、できたときはちょっと余計なまでに正しく相違なく、できなかった部分に関しては、ニュアンスと呼ぶにはかなり確実すぎる輪郭を持って(或いは、曖昧なものは曖昧な色調でもって)通じてしまう他人、というのが存在してしまうのかもしれない…!と思い始めて1年ちょっと経ってしまいました今日この頃。 みなさま、お元気ですか。ROSAです。 ちょ、まじでだから、すごいんだよ。楽しくて。やったね♪ってかんじ。 なんかそうなってくると、もういいの、見解の一致とかは。一致してる場合のほうが多いんだけど、一致してなくても聴きたいの。その意見を。 だって、言葉になんかできなくたって構わないんだよ。国旗で空を飛んだり、切れると思った網が切れただけで、体折り曲げて笑う。映画館中で二人だけ、笑う。 ああ、だから最近は、言葉になってない部分で、どんどん感覚の部分だけで、「でしょ?」「だよね」みたいになってきたかな。 まあ、つまり、のろけです。
なのに、わたしのこと置いてくらしいよ。
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