| 2004年03月19日(金) |
サンキューデモクラシー。直樹のこと。 |
ひさしぶりの日記です。 ちょっと、ようやく、書けるような気がしたので、書いてみます。 まず、今回お世話になったYきゃ、Hきゃ。 Nさん、Kさん、Mさんをはじめとする、名古屋の方々。 寝巻きのまま夜通し車を運転してくれたTkさん。 支えてくれた友達、家族、みんなみんな。 本当に、感謝しています。ありがとう。 あなたたちの誰一人欠けても、多分あたしは駄目になっていた。 ここ、読んでるって知らなかったから、ちょっとビックリしたけど; うん。 この場を借りて、ありがとう。 本当に本当に、ありがとう。 お礼が遅れちゃって、ごめんね。
あたしの存在は、あそこにはいないはずの人間で。 基本的に、1対1の関係だったから。 だから、ずっと、ずっっと、自分の感情を殺そうとしてた。 あのまま空気に溶けて消えたかった。 それでも、肯定してくれて、ありがとう。 ベッドと食事と礼服とお風呂と靴下と香典袋と、何より気遣いと・・・感謝しきれないよ。 ***こっから先は、長いし、かなりの私事だから、読みたい人だけ読んでください。気分害したらごめんなさい。***
もう隠して書く事ないかな・・・。 ってか、ここ読んでる人数極少だし・・・。 ちょうど10日前。 大切な人が遠くにいってしまった。 ずっとあたしのアイドルだった。ファンだった。KARyくん。 友達だった、直樹。 そして、恋人だった直樹。 大好きな人。 まるで2人が同時に消えたみたいな感覚。 あたしは、はじめ、何がなんだか分かんなくって。 頭が真っ白になって。 次の日、朝一番の電車で、お見舞いに行く予定だった。 夜中に容態の知らせを受けて、わけが分からないまま、泣きながらTkさんに電話して。 真夜中に車で名古屋に送ってもらった。 でも、結局、間に合わなくて。 電話を受けたのは、愛知県に入る直前の、高速道路上で。 病室に入っても、顔を見ても、まるで嘘みたいだった。 まだ、あったかくて。頑張ってたって聞いても。 なんで?どうして??って。 聞きたいことも言いたいことも、いっぱいあった。 何が嘘で何が真実かなんて、わかんない。 喧嘩しても、やらかしても、頭こづいて笑って、それだけで済んでたじゃん。 あたしは、直樹に会ったら、つっこみ入れたかった。 それで、笑い合えれば、それでいいじゃん。 どうして、届かないのかな。 いっつも、もどかしく思っていた名古屋との距離。 あたしの我侭は、いつもそれが原因だった。 「お前の悪い癖!」って、いつも呆れ笑いされてた。 あたし、直樹と「俺から2週間連絡が無かったら、お見舞いに来ていい。」って言ってた電話が、最後になっちゃった・・・。ずっと、魚の骨が喉に刺さったみたいに、痛みが取れなくて。 どうしようも出来ないぐらい、後悔した。 仕事を理由にした自分に、嫌悪感を覚えた。傷付きたくないとか、利己的な考えに。 前から、風邪引いたときも、「自分が弱ってる姿なんか見られたくない」って言ってた。 電話で「お見舞い行きたいっ!」 ってあたしが言った時も、 「2月になったら今より元気になるだろうから、そん時なら来ていい。」 って言ってた。 「次に会う時は、俺が回復した時か、死んだ時だから。」 いつもの調子で、おどけたように言ってた。 「俺、もぉ駄目だわ〜。」 って、ため息混じりに笑ってた声。 それが、ずっと、耳に残ってて、苦しかった。 でもね、名古屋に行った夜から、直樹の身体とお別れする日まで。 あたし、すごいびっくりした。 直樹を想って動いてた、羨ましいほどの人達。 あそこまで、懸命に、直樹のために。 新しい直樹の一面を、改めて、初めて、知った気がした。 だからね、ちょっと、スッキリ出来たんだ。 みんなが、直樹のことを大好きで。 あんなに苦しかったのに、なんか、想いが昇華した様な。 あたしも、直樹に出会えて、好きになって、良かった。 そう、思えて。 だからね、ありがとう。
たしか、去年の初夏の頃だったと思う。 なぜか、お葬式の話になって。 「俺の葬式で泣くことは許さんよ。」 そう、言ってた。 「みんなで酒飲んで騒いでさ、『お前なに死んでんだよっ!』ってツッコミ入れて欲しい!」 って。 「そんなん無理っ!哀しいもん!」 って反論したら、 「哀しいときこそ、笑わんといかんだろ〜。」 って言ってた。 実際に、泣いてる時はおでこにペチーンってツッコミ入れられて、「泣いてるくせにツッコまれてやんの!」って、ケラケラ笑った。 だから、根性でも笑ってやろうと思った。 色々、そう言ってた張本人に泣かされた事もいっぱいあったけど、だからちょっと怒ってやろうと思ったけど、でも、それ以上に、彼からいっぱい貰ったから。大切な事、いっぱい教えてくれた。 だから、少し笑ったような寝顔を見たとき、何も文句言えなかった。 あたしは、直樹の人生の中で、なにか役に立てた? 悔しいけど、最後まで、完敗だったな・・・。
・・・文章、長いね。 いっぱい、いっぱい思い出しちゃって、なんか・・・。 あたしが今まで、長野という辺境の地でやってこれたのも「名古屋から近いから喜ぶべき」って笑い飛ばしてくれた彼のおかげで。 日々の電話のおかげで『寂しい』なんて思わなかった。 むしろ『長野で良かった』とさえ思った時もあった。 男とか女とか、そんなこと以前にさ、惹かれてた。 一番言われて嬉しかった言葉は、優しい言葉より、甘い言葉よりなにより、 「お前が男で名古屋に住んでたら、絶対毎日一緒に飲んだくれる!お前面白ぇ!」 って大笑いしてくれたこと。あたしも同感だったよ。
去年の誕生日にあげた腕時計は、大事に、宝物にするって言ってくれたけど、持っていけなかったね。 抱えていったクリスマスプレゼントのカレンダーとマフラーは、Kさんが棺の中に入れてくれたって。 でも、何よりも自慢のBassがあるもんね! みんなの気持ちも、いっぱい持ってったよね。
まだね、考える度に、全身の血が引くような感覚で、胸の辺りがきゅぅぅって痛くて、頭がぐらぐらする。 この感情を、なんていうんだろう。でもね、たぶん大丈夫。 あたしは、あたしの心臓が止まるその日まで、絶対直樹のこと忘れないから。
直樹も、向こうでいっぱい、持ってたBassを弾きまくるように! バンド、やりたがってたもんね。 また、『KARyくん』の前でキャーキャー騒ぎたいな。
4月2日のハーランは行きます。 名古屋は、彼のにおいが強すぎるけども。 楽しく、ね。
しばらくは、また、さようならだね。
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