ジンジャーエール湖畔・於
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誰も君を知らない
君でさえも
誰もぼくを知らない
ぼくでさえも
君の知らないぼくと
ぼくの知らない君は
いつか何処かで
いつもどこかで
繰り返し
出会い続ける
それが運命の恋人
野坂塾へ行くはずが、なんだか頭いたくて断念。 家でおとなしく。しかし、六畳半でひそやかに感銘。 吉野朔実センセイの「ジュリエットの卵」にぐったり。 むかしに”ぶ〜け”かなんで読んでいたんだけど、文庫になったのを機に再読。 で、感動。うん。感動というかドキドキというかウットリというか。 (わたしの「感動」って言葉はやすっぽいなぁと思いつつ) 蛍と水(ミナト)という双子の兄妹の恋と悲劇の話。 とおして読んでみると、前半と後半で蛍と水が入れ替わるような 対称的な構成になっていることがわかった。 ”ぶ〜け”では他にも「少年は荒野をめざす」「エキセントリクス」などを 読んでいたのだけれど内容はほとんど憶えて無いです。 だからきっとこれから本屋にいってちょっとするとぜんぶ本棚に並んでるん だろーな。わたしのことだから。 一番好きでよく覚えてるのは「恋愛的瞬間」。 コミックスも2セットもってるし。 (持ってても読みたいときにどこにあるかわからなくて新たに買うから) 連載当時は精神科医の春日武彦先生の連載もあったの覚えてる。 たしか挿絵がクラフト・エヴィング商会で。 それがおもしろくって春日先生の本読んだ。 「ロマンティックな狂気は存在するか」「顔面考」はげしくオスメス! ・・・じゃなくてオススメ! もとは日本医大の産婦人科医だったそうだけど、流産したり奇形児を産んだ 母親のメンタルケアに携わるうちに、精神科医にすすむことになったそう。 うちの叔母は、今は無き日本医大第ニ病院で電話交換手をしていたので 聞いてみたら、先生のこと知ってた。 『奥さん看護婦、ちょっとキツイ感じの人、でも美人。』ってことまで。 母がわたしを産んでしまったのも、その日本医大だったので もしかして春日先生その時産婦人科いたかもね、なんて叔母いってた。 世間て狭いなーって。 その後も、母が膵臓悪くして入院したり、叔母が当直の時にこっそり 電話交換室にこっそり泊まったり、毎春叔母の休み時間に 九段下まであるいて靖国神社に花見ついでのお参りいってたり、 小児科には喉をみるときにやる、棒で舌をおさえてライトでみるやつ、 あれを「おうぇっ」ってならないように上手くやる先生がいたこととか、 病院玄関のおっきい階段をかけ降りて、わざと靴かたっぽ脱いでシンデレラごっこしたこととか、 入り口の花屋のお見舞い用のカーネーションの犬が欲っしくて欲っしくて、 3000円くらいしたと思うンだけど小学生なのに 自腹で買ったこととか・・・ 日本医大第ニにはいろいろな想い出があります。
テ、ユーカサ− ・・・うすうす感づいてはいたけど、 わたしってこの日記でむかーしのこと思いだしてばっかじゃない? なんだろー。 未来に興味ないからかなぁ。 わたし現実とか将来とかってあんまり好きじゃないんです。 蛾とか蝶とかひらひら飛ぶものも苦手なんです。
最近わたしは”ぶ〜け”レトロスペクティヴ。 このまえもブクオで清原なつのセンセイの初期短編が文庫になったの買った。 「5時からの咲也」「セーラー服の気持ち」「8月の森を出て河を渡って」が特に◎。 山本直樹曰く”「好き」とか「好きなんだけど」とかいっただけで作られていたおとめちっくラブコメのフォーマットでありながら、そこから半歩か一歩ずれた微妙な視点。” 恋愛とか性が少女漫画にしちゃあ妙なんだよなー。 ”第ニ次性徴”感っていうか。 言葉にするのがむづかしい奇妙さがある。
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