つい読みたくなるタイトルなんて思いつかない


2008年06月05日(木)  おかんが倒れた

朝7:30くらい、弟に叩き起こされた。

台所でおかんが倒れている。痙攣したあと意識が朦朧としている

と親父。救急車は呼んでいるの到着を待つ。

呼びかけてもちゃんとした反応はない。

救急車が来て親父と弟が一緒にのっていった。

俺はとりあえず病院到着後連絡をもらうとこに。

20分後くらいに連絡があって、病院に行くと意識はある程度戻っていた。

初めは生年月日も言えなかったらしいが受け答えはできるようになって

いた。CTやMRIでも全く異常はないらしい。ただMRI検査中に

嫌がって体を動かしまくるので鎮静剤は打ったとのこと。

とりあえず様子見してくださいとのことで一旦家に連れて帰る。

俺は知らなかったのだが、なんでも昨日足の静脈瘤の手術をしたとの

こと。その影響かと先生に聞いたが、それはないとのこと。

救急から帰って、その静脈瘤の手術をした病院に親父が連れて行く。

俺は今日一日仕事を休むことに。親父も休みを取った。

おかんにも当然仕事を休ませ(仕事に行くと言ってきかなかったが

やめさせた)昼から寝ていたが、15:30にまた発作的なけいれん。

仮眠を取っていたのだが、親父の叫び声で一階に下りていく。

けいれんしていたが、少ししたら治まった。もともと寝ていたので

意識は虚ろ。とりあえず様子見。

その後、夕方起きた。飯を食うように言うが何も食べようとしない。

おかんが好きな杏仁豆腐を買ってきていたのだが、食べろというと

杏仁豆腐って何?と聞き返す。記憶障害みたいのものなのか?不安に

なる。

その後、風呂に入ると言ってきかないので、少しだけ入らせる。

でたあとは台所で少しぼーっとしていたみたいだが、また寝たらしい。

20:30一階から親父の叫び声がまた。すぐ降りていくとけいれんして

いる。半分白目で口から泡をふいている。これはだめだ。

俺が見ながら親父に救急車を呼ぶよう指示。しかし、親父は119がでて

こない。119や!と叫ぶと親父も分かってくれた。

おかんを親父に見るように言って弟に連絡。もうすこしで家に着くころ

らしい。すぐ帰ってくるように言って、外にでて救急車の誘導待機。

今日二回目の救急車が来た。

俺自体かなり久々の救急車。救急隊員の人はやはりいい意味なんだろう

落ち着いている。もっと迅速に動いて、さっさと連絡入れて、病院に

運んでくれと思うが、言わないでおいた。それがベストなんだろう。

いらついたがそう信じたい。

朝行った病院をお願いしたがいっぱいとのこと、次の希望もダメ。

次の希望もダメ。

これがたらいまわしって問題になっていることなのか。

しょうがないので親父は嫌っている病院にする。時間が優先だからと

納得させる。

その後救急車の中で意識が戻るが、こんどは暴れ出す。

俺も親父もしっかり認識していない。

帰る、帰るばかり連呼し、俺が抱きかかえようとすると押しのける。

どうしてしまったんや。

救急隊員の人含め3人でなだめたり、体を押さえて、なんとか

病院に。

CTの検査をしてもらうが、そこでもやはり暴れたとのこと。

その後、集中治療室に運ばれる。

集中治療室ってドラマの中の世界しか知らなかったぜ。

1時間後容態が落ち着く。正常な意識も戻り、といっても記憶が

すごくあやふやだが。明日の仕事のことばかりを気にするので

誰に連絡したらいいんだと聞いてもその人の名前が出てこない。

今回の病院でもCTには異常なし。脳の異常や出血も見られない。

なにが原因なのかはっきりしないので、めちゃくちゃ落ち着かない。

ただ思ったのは短期的に治るようには思えないし、もしかしたら

若年性のアルツハイマーや痴ほう症とかそういうものなのかもしれ

ない。

本人は帰ると言ってきかなかったが、なんとかなだめて集中治療室

を後にした。

明日も神経科や脳外科などの検査や診察を受けることになるらしい。

どちらかというと還暦を迎えた親父のことが心配だったがおかんが

こういうことになるとは・・・

俺がしっかりしなければならない。




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2006年06月05日(月) チャットモンチー