ゼロの視点
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以前の日記にも書いたが、この秋に夫とその友人2名を引き連れて、伊勢→那智勝浦→高野山→奈良→京都(鞍馬山含む)→麻布十番(昔の私のテリトリーのひとつ)に滞在する予定になっている。
さて、旅程を練れば練るほど、実は昔行った事がある地域ばかりなのに、たいした記憶がないのが、もどかしかった私。というより、いつまったく同じコースを辿ったのか?、と思いつつ、昔からつけているスケジュール帳を1冊1冊丹念にチェックしていったら、なんと、それは1991年だったことが発覚。
ってことは、1浪1留しているわたしゃ、まだ大学生〜っ(爆)。
スケジュール表は、以下のように記されていた・・・・・・・。
1991年4月21日(日) 13時頃、H嬢&MF嬢が我が家 (現在の私の実家) に到着、しばしダラダラしたあと、出発。環八から東名にのり、ひたすらクルマを走らせ、四日市にはいる直前で、持参したホテルリストをかたっぱしから電話かけて、伊勢市のとあるホテルに予約をいれ、またひたすら伊勢市までドライブ。 途中、夕食もなにもかも済ませた後、23時ごろにホテルにチェックイン。
ちょっと煙草を買ってくると、クルマで出かけていったはずの娘が、いつものように帰ってこないことにさすがにイライラしているだろうと思われる母に、《あ、結局、伊勢市まで来ちゃってさ・・・》と電話、と私のスケジュール表に書いてある(笑)。で、もちろん電話口で母が、いつも以上に私に呆れ返った反応をしていたのは自明。ちなみに、ドライブが趣味の筆頭だった当時の私は、毎回走行距離をメモするのがクセで、この日は、518�舛世辰拭� 翌日の4月22日(月)、当時は学生で、なんだかんだいっても、酒もたいして飲まず、おまけに体力もあったのか、ちゃんと午前7時前には起床して、朝食も済ませ午前8時にはホテルをチェックインしていることに、自分でビックリ。
とはいえ、風流なものとか、文化などにいまひとつ興味がなかった私達は、伊勢神宮にまで足を運んだものの、案内図をみたら、相当歩くのが予想されたため、そこまでいったのに中へ入らず、ドライブすることを優先させた。そして、伊勢志摩スカイライン→朝熊山→鳥羽→パールロード→阿児→紀伊長島→尾鷲→熊野→新宮→串本→白浜→田辺とひたすら、バカの一つ覚えで走り続け、田辺で2泊目を過ごしている模様・・・・(汗)。この日の走行距離は、318�繊�
そして、4月23日(火)は、朝の9時過ぎにホテルをチェックインしたあと、田辺→竜神村→高野・竜神スカイライン→高野町→橋本→河内長野→法隆寺→木津・山城・城陽→宇治川→大津→琵琶湖→近江八幡と進んだ後、彦根ICから名神→中央高速と進路をとり(往路が東名だったので、復路を中央にしたかっただけ)、日付がかわった4月24日(水)の午前3時に私の実家に皆で戻っている・・・・・・・。走行距離815�繊ΑΑΑΑ�
そして、皆で死んだように爆睡したあと、夕方からわしら3人と私の母も一緒になって、皆で東京文化会館へ、マウリツィオ・ポリーニのコンサートへ突撃している・・・・・・。
若い・・・・・・っ。実に若い・・・、というか、私は若かったぁ・・・・(爆)。友人2人をクルマに乗せ、総計1651�舛�2泊3日の行程で、ひとりで運転し、ちょっと休んだ後は、コンサートとは、今の私にはもうできんっ!!!! 。ってか、やりたいとも思わない。
この行程表をみつけたので、さっそく当時の同行者MF嬢にメールしてみたら、《絶対に今はできないし、やりたくないっ !!!!》と、私と同じ感想が戻ってきて大爆笑。ここまで衝動的でも、なんとか生活が成り立ってしまう《パーマネントバケーション》そのものだった、あの青い日々・・・・。
厳密にいえば、同じことは今でもきっとできる。が、日本語で判断しながら、同時にフランス語喋って、バスガイドやりながら運転となったら、あまりにも荷が重いので、やはり出切ることならやりたくないのが本音。というわけで、ジャパンレールパス14日分で、余裕アル日程で(決して財布に余裕があるわけではないが・・・)、当時、記憶にないまでも駆けずり回った地域を、じっくり堪能してみたくてたまらないゼロでした。
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