ゼロの視点
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母が、認知症対応型グループホームに入居したのが昨年の2月3日。
その日、母は、いつものようにデイサービスの送迎車に乗って出かけて行き、一日をそこで過ごした後、またいつもにょうに送迎車に乗り込んだ。そして、送迎車は、いつものように家に送リ届ける代わりに、グループホームへ母を送り届けたのだった。
そして、その日から空家になった我が実家・・・。
まず、誰もいない実家・・、というものがどうもピンとこなかった。ずうっと雨戸が閉まったままで大丈夫なのか?、とか、電気・ガスはどうしようか?、という疑問にはじまり、最後は、その誰もいない実家に一人で里帰りする気分は、いったいどんなものなのか?、と、考えるとが増えていった。
そして、昨年の3月中旬から4週間の予定で、はじめての《誰もいない実家》への里帰り。
こんな私を哀れと思ってくれたのか(笑)、近所の幼馴染のMT嬢が私が成田に到着する頃に、実家に先に入ってくれて、夕食の準備をしながら待っていてくれた。
ゆえに、タクシーから降りると、誰もいないはずだった実家には、従来の電気が灯っており、ドアを開けるとおいしそうな焼餃子の匂いが私を出迎えたっ!!!!!!。うおおお、うまそうっ、とかけつけ一杯のビールをMT嬢と。
母が出迎える時より、よっぽどいいんじゃないか?、とすら思ってしまった(汗)。
さて、母のホーム入居は、突如、予定日よりずいぶんと早く入居することになったゆえに、母は着の身着のままに近いカタチで実家を後にしていた。その後、すぐにいとこのH嬢が彼のF氏を伴って、わしの実家に泊り込みでやってきて、簡単な母の引越し作業を完了させてくれたおかげで、母のホームでの生活がなんとかなっていたようなものだった。
そしてこれらを引き継ぐように、私が3月に日本に戻り、母のホームでの環境を最終的に整えることが、私の最優先事項となっていた。
MT嬢とのかけつけ一杯からはじまった宴会も終わり、ふと、私一人になった夜中の実家を、ふらふらと探検してみる・・・・。別に、今までの変わりがないといえば、なにもない・・・。
そして、2階にあがって、母の寝室をのぞいてみると、やはり母の姿はない。それでも、2月2日の晩まで、母が使っていただろう布団がたたんで置いてあるのをみると、まだそこに母の気配はたくさんあるようにも感じられ、妙な気分。
が、不思議と悲しくはない。それがまた不思議だ。悲しくなるんじゃないか?、というのがフランスを離れる前までの私の不安だったのだが、なぜか全然悲しくない。また、こんなこと言うと、実状をはっきり知ろうとしない母の妹連中などが鬼畜とかいうんだろうなぁ・・等と想像して、薄ら笑いが浮かぶほど。
ヘルパーやケアマネージャーからの申し送りノートを読んだり、母が買い物をした際のレシートなどを部屋中から探し出しては、シャーロックホームズのように母の生活を類推などをしているうちに、誰もいない実家一晩目の夜が明けていった。
テレビをみながら、ボーっと朝食をとりつつ、《さて、今日はどんな番組があるのかな?。》と、いつもの癖で新聞を捜すが、みあたらない・・・。《あ、そうだ、新聞はとめたんだった・・・》と気づく。
これも、いつものようでいつもでない実家のいち風景。当たり前のように新聞が毎朝・毎晩配達され、そしてたくさんのチラシもやってくるのだが、今はそれがない。うーーん、不思議だ。
それらのことをさっそくMT嬢にかたると、彼女はわしの暇つぶしに・・・、とさっそく新聞やチラシをもってきてくれたっ!!!!!!、わーい、わーーい。これで、売り出し日とかがチェックできるので、4週間の一人暮らしも充実させられるっ、というわけだ。
朝から、母に代わって、庭を掃除したり、家の周りを掃き掃除したりと、母に成り代わった私の生活がスタートした。
さて、実家のある住宅地は、ゴミ捨てモデル地区ゆえに、そりゃあ細部にわたっての分別が強いられている。なので、これもやはりMT嬢にお願いして、ゴミの捨て方教室を私のためにやってもらった。じゃないと、どうやって捨てたらいいのか、本当にわからないのだ、・・・・・・(滝汗)。
ちなみにパリの自宅(アパルトマン)では、分別する必要がない。そう、フランス人の多くは、地球に厳しい鬼畜集団でもあるゆえ、そんな生活から一変して、モデル地域の一員として、時差ボケをかかえつつ規則を頭に叩き込むのは、なかなか大変なものだった。
こんなこと、どんなことしたって覚えられないっ!!!!!、と怒り心頭だった私だが、1週間後にはほぼゴミ捨ての要領も覚え、なおかつ、きちんと早起きしないとゴミが出せないことも身体で覚えたせいか、本当に早起きな習慣まではじまってしまった。
朝6時過ぎには起きて、4品以上の朝ごはんを自分一人分だけ贅沢に作り、それを食べながら、衛星放送でNHK朝の連続テレビ小説を見終わると、ゴミを捨てるという毎日。なぜか、こんな生活をすることが次第に楽しくなってしまって、里帰り4週間目になるころには、ゴミ分別の鬼と化していた私・・・。
しかし、さすがに誰も住まなくなった実家。ゆえに、これを機会に長年捨てられずに溜まっていた不用品を、どんどん処理する必要があった。
そして、この不用品処理をはじめると、また捨てるのが楽しくなってきてしまって、とまらない・とめられない・・・・(滝汗)。本当に朝から晩まで70ℓの半透明ゴミ袋に、色々なもの詰めて、詰めて、詰めて・・・・・、の繰り返し。
これは、母が健在だったら、できなかったことのひとつ、だ。《まだ、使えるかもしれない》等という言葉のもとに、本当に色々なものが家に残っている。
確かに母の言っていたこともよくわかる。実際に使い道はないが、とはいえ、新品だったりすると捨てるにも捨てられない。バザーなどがしょっちゅうあるわけでもないし、フリーマーケットなどを、母が自ら開催するようなタイプでもなく・・・・。
さて、こういった大量のゴミはさすがに、通常のゴミの日だけではまかないきれない。ゆえに、定期的にクルマにゴミ袋を詰められるだけ詰めて、清掃局まで自ら捨てに行くことになる。で、この過程が、また病みつきになってしまい、ゴミ清掃局に行きたいだけで、ゴミをわざわざ作ってるんじゃないか?、というほど、しょっちゅう通っていた。
あまりにも通うために、浜田陽区そっくりの作業員の人にも顔を覚えられてしまったほど(笑)。
ちなみに、この4週間の里帰り中に、この清掃局で処理してもらった我が実家のゴミは、320�圈�数値にするとかなりあるように思われるが、320�圓里發里�なくなったはずの実家の様子は、さして変わりがない・・・・。なぜだっ?!?!?!?!。
ホームから母を、ちょくちょく家に連れてくるのだが、そのたびに無駄なものが減っていく家=整然とした家、に妙に違和感を覚えたのか、彼女は落ち着いていられない様子・・・・(汗)。やっぱり、母は、雑然とした家にしかなれてなかったのか・・・?!?!?!。ま、でも、しょうがない。
さて、《誰もいない実家》において、もうひとつ私には難関があった。というのは、実家にいた時、私は一度も洗濯機というものを使ったことがなかったのだ・・・っ!!!!!!。実家を出たあとの洗濯は、全自動式しか知らないゆえ、母が愛用していた2槽式洗濯機の使い方・・・、というものがわからないのだ。
もしかしたら、そんなに難しくないのかもしれないが、なぜか2槽式洗濯機を見てしまうと、はなから《難しい》とか《わからない》と思い込んでしまう自分がいた。で、こればかりは、幼馴染のMT嬢に聞いてもわからない。なぜなら、彼女も全自動式しか使ったことがないゆえ・・。
それでも、洗濯しないわけにはいかないので、なんとか動かしていくうちに、やっと2槽式洗濯機のコツがわかりはじめ、一件落着。以後、またもや、この洗濯機を使うのが、楽しみになってしまい、何かみつけりゃ洗濯する日々・・。
朝から出汁をとった味噌汁とおかず等をきちんと作り、家を片付け、ゴミを捨て、2槽式洗濯機を使いこなし(笑)、銀行、役所、郵便局などの用事を午前中に済ませ、午後からは母のホームへ出陣、そして買い物ということをバタバタやっていると、あっという間に一日が過ぎる・・・。
こんなことをやっていると、《こうやって日本で暮らしてく選択肢もあったのかな?》等と思うこと多々あり。また、それと同時に、これがまさしく、母自身がやっていた生活パターンなのだっ、と、しみじみと実感。(母の場合は、午後パートに出かけていたわけだが・・・)。
母の場合は夕方、スーパーへ買い物へ行っておしまいになっていたのだが、私の場合は、そこから友人らと宴会だの、映画だのなんだのと遊びタイムがスタートするのが、わしらの違いか?。
ところで、誰もいない実家では、私が主。ゆえに、誰も私のやり方に文句をいうものがいない。なので、本当に思う存分好きなことができる開放感がある。
以前だったら、やはり母に聞いてみないとわからない類の問題などもあったが、幸か不幸か、母が認知症になったことによって、家計管理からなにからなにまで私がやるようになり、実務をこなすに従い《不安》というものがあまりなくなったことも、上記の開放感に拍車をかけていると思う。
母としたら、私を永遠に子供扱いしたかったのだろうが、私からしたら、母からなんとなく植え付けられてきたように感じられる、《何もひとりじゃできないゼロちゃん》という、呪いの言葉からの開放感ともいえる。
ただ開放感がいくらあるとはいえ、やはり、以前のように母が元気で実家で暮らしていてくれたら、と思うことは必至なのだが・・・・・・。
ま、いずれにせよ、実家からクルマで5分のところにあるホームで、母が本当に活き活きと暮らしているのを、ちゃんと確認しているからこそ、私のほうものん気でいられるのだろう。本当に、今までみたことのない、くったくのない笑顔で、いい表情をしている母の姿には、びっくり、だ。
実際には母もホームで、娘に文句言われることなく開放感を得てのびのびし、私も実家で、母に文句言われることなく開放感を存分に味わい、両者ともども、めでたし、めでたし、という結末。フランスへ戻る頃には、誰もいない実家という、未だ知らぬ概念に怯えていた日が懐かしくなっていた(笑)。
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