| 2006年10月13日(金) |
空想上にしかいない人物?! |
「テレプシコーラ」には、姿形、性格、事情も多種多様な登場人物が出てきます。 それらが織り成す物語は現実的で、それだけに入り込んで深く落ち込んだり、喜んだりしてしまうのでしょう。
でも、この物語の中で、現実味がないわけでないけど、ややファンタジー的な人物がいます。 それは六花の家で、バレエから生活までお手伝いをして力になっている金子先生です。
親切で、穏やかで、心優しく、気が利いていて、器用で、大人です。 この大人という部分がとくに重要です。 自分をよく知っているといってもいいかもしれません。
さらに私が想像する、彼女の美徳は、誰にも妬む気持ちを起こさせない所じゃないかと思う。 漫画で描かれている彼女のキャラクターは割りと地味で、それもポイントだと思うのですが それとは別に、人をよく見ているというか、無意識の人の良さではないからだと思う。 意識的に親切じゃないなら、計算していることになるかもしれませんが 計算してやっているとしても、それで自分が得することとは別なのです。 相手に負担のかからない善意というのでしょうか。
善意に負担なんてかからないと思われるかもしれませんが 過ぎたるは及ばざるが如し、というように 見返りのない親切というものに慣れていない人が増えつつある世の中では いわれの無い親切などは、返って不信感を持たれたり、 親切にされた人物は、自分の中の汚さを見る羽目になり、恨まれたりすることもあります。 それに残念だけど、自分本位な親切もあるしね。相手にとって適切でない親切は親切ではありませんのは 言うまでもないことです。
そういえば、昨日見たアニメ「nana」で、ハチがナナのために滅私で尽くす少女ミサトを見て、 自分のひがみっぽさを自覚して嫌になったりする場面がありました。 (最初「nana」という漫画の良さがいまいちわからない私でしたが、良くも悪くも揺れ動く女性の 心理がよく見えて、面白いと思えてきました。)
「良い人」であるということは、経験を培ったり、頭の良さももたないとそれは諸刃の刃になるのかもしれません。
そんなわけで金子先生は、私が「テレプシコーラ」を読んでいて、こんな人になれたらなと思える好人物です。 リアルな人物がひしめく「テレプシコーラ」で珍しい空想上の人物と思えてしまうのですが 現実には、、それに近い人物がいたとしても、深く付き合えば、大抵どこかマイナス面があるはずで (だって人間だもの、欠点の無い人なんていませんよね) フィクションの中で、しかも主人公でないから、その全貌は見えませんしね。 金子先生と対極なのが、五嶋先生だと思うのですが、山岸さんのすばらしいところは、五嶋先生のよい所も きちんと描いているところなんですよ。これもよかったな〜と話は脱線しましたが。
金子先生とともに思い出すのが、「銀河英雄伝説」のキルヒアイスです。 彼も、どんな年齢でも、どんな立場でも、どんな相手でも、常に安定していた。 この2人のもう1つの共通点は、天才の傍にいても、その性質が全く変わらないことじゃないでしょうか。 自分の分をわきまえている、でも自分の力も過小評価していない。 だから、天才たちの傍でも、自然に振舞え、自分のよさを発揮している。 そして天才たちも、その横に安心していられるのだと思うのですが・・(これは特にキルヒアイスですが)
このバランスの良さが、私の心地よさを感じる源かもしれません。 空想上の人物をモデルにしているのもどうかと思いますが(金子先生は最近だけど) バランスのよい大人になりたいと願って、実年齢は立派な大人になってしまいました。 死ぬまで、もう少し頑張りましょうの判子を押し続けて、理想の人物に近づきたいと思ってます。
う〜ん、ちょっとどころでなく、かなり恥ずかしいことを書いているわね。
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