| 2006年03月29日(水) |
ぐらぐらしている人たちへ |
最近、驚くべきことに年下の友人が多くなってきました。 私が年増になったせいもあるでしょうが、同年代の友人の中には 年下の友人はいないという人もいるし、それだけではないようです。
私は小さい頃から大人たちと話すことが苦でないタイプでした。どちらかというと好きでした。 多くの親戚の伯父・叔母と年上の従姉たちの中で育ってきました。 学校へいっても友人の家へ遊びにいくとその母たちと仲良くなることが少なくなく 母の友人とも、母を介さずにずっと話し続けられるのでした。
そして同年代の友人とはあまり話しがあいませんでした。どちらかというと苦手でした。 それは私に至らないところがあって、年長者たちは余裕があるので そんなダメな私とでも、優しく話してくれる余裕があるのだと思っていました。
大人になるにつれて、同年代の人たちとも話しが弾むようになってきましたが 少しわかったのは、実は私に若さがなかったんじゃないかということです。 大人が好く子どもであったような気がします。 大人が好くような子は子どもは好きでないのかもしれません。
そして今、実年齢と精神年齢が拮抗しだしたら、年下の人たちから 相談されたり、頼られたりということが起こりました。 うれしい驚きです。私を大人と見込んで頼ってくれるんだよね・・と
私は昔から安定した大人になりたかったのです。
年下の友人の中でも、私などより安定して、しっかりしている人もいるのですが。 そういう安定している人といると心安らぎます。 喜怒哀楽の喜楽が際立って、彼女たちにも辛いこととか悩みはあるのでしょうけど それをハートのど真ん中に置かないで、ちょっとズラして、受け流し、 解決していける力をもっているのだと思うのですが。 私もよりそんな人になりたいと思います。
本当言うと、私は今も安定している、とは程遠いと思いますが 10代、20代で悩んで揺れ動いた時を過ごして、今は割りと安定しているそんな感じなのです。 そんな自分だからこそ、今不安で揺れ動いている彼女たちの相談に乗れるのではないかと思います。
私自身も相変わらず、ぐらぐらしたり、自問自答の日々ですが 私がぐらぐらしていたことで、ぐらぐらしている人たちになら ぐらぐらを乗り越える手助けができると思いました。
長く生きて、経験が多いければ多いほど、その手段は増えていくのだと思います。 またそうでなくては、生きる意味がない気もします。
「生きる意味」高木善之 PHPの第一章をぱらぱら見たときに感じたことです。 答えは本の中にあるのではなく、自分の中にあって日常でみつかる〜ということ。
昨日見た花組「スカウト」でも「自分を見直して、周りをよくみて」と繰り返し伝えられました。 グラグラしたときは、あわてず考えることなんだと。
自分をよくわかっていないと、見直すことはできません。 それはなかなかに難しいのだと思います。
でも、私は人と話すことによって、他人との考え方の違いを面白く思い。 読書や舞台などでもいろんな考え方や思考の手段を楽しむことができます。 上記以外にもそういう手段はまだまだあると思います。
なりたい自分になるというのは、 仕事とか能力でもいろいろ差ができてしまってなかなかなれないのですが、 でもせめて、自分の親しい人たちのよき話し相手になれたらうれしいと思います。
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