| 2006年01月25日(水) |
読書「希望のニート」 |
二神能基 東洋経済新聞社 2005年
ニートに関する本は最近では珍しくなく、それほど興味もないのでいつもスルーでしたが この本はタイトルに「希望」とあるので気になり読んでみた。 この本はニートを扱っているのですが、それだけに限定されて読まずに置かれるのにはもったいないと思いました。 どちらかというと教育問題、家庭教育問題寄りで、子どもを持つ人は読んでみるといいと思います。 もちろん、増え続けるニート人口(2005年3月に内閣府が行った調査(若年無業者に関する調査)では ニートは2002年に85万人)を無関係と放置しておいていいかは個人の判断によるでしょう。
そんな「ニート」という言葉の意味や実情はちょっと検索したら言葉や数値はすぐに出てくるのですが 「ニート」の実情や環境などはそうしたものからは読めません。 この本だとて、ニートの全てを把握しているわけではないでしょうし、 著者個人の体験・主義思考が色濃く反映されているのは間違いなく、 そうしたものを受け入れない人もいるかもしれないとは思います。
しかし、少子化、教育問題、親や子をとりまく社会問題。そして先行き不安な未来を見据えて取り組んで書いていると思いました。 「自分らしさ」「個性を伸ばす」教育に疑問を投げかけ(いや否定ですね)、 「自立しろ」「他人に迷惑をかけない」など当たり前な規範を一刀両断する。言われてみれば納得です。 全ての人は、誰にも頼らず、自立して生きていけるかといえば、そんなわけないのです。 現代って一人前恐怖症なんじゃないかと思います。完璧な人間を目指して頑張ってきたけど 1つの失敗で自分を全否定してしまい、もう外へもいけない。そんなもろさを作るのは何なのかが実例を基に書いています。 親にたいして厳しい本かというとそれも違う。「あらゆる子育ての結果は偶然に過ぎない」と助け舟を出していますし そもそも、サラリーマンや専業主婦しかしてない大人たちは経験が不足しているので、社会力がなくても仕方なし等とか。
でも我が子を自分より幸せになってほしいと願い、奔走する親はそういうことにも耳を貸さず爆走している気がします。 でも、幸せだと感じるのは、親ではなく子どもなんだということをすっかり忘れているのですね。 過ぎたるは及ばざるが如し・・期待も愛情もほどほどにと・・・ 未だ親になる予定のない私がこんな事いうのって本当にどうかと思うのですが・・ でも親になってからでは遅いかもしれませんしね。 もしかして親になることがあったら、もし子ども可愛さに目が眩んでしまっていた時にこそ、この日記を読みたいと思います。
それとは別に非常に納得したのが、常に勉強でよい成績を修め、誰にでも自慢できる学歴を持つ人が必ずしも 仕事をして、学生時代と同じような立場でいられない事。 勉強して成績さえよければ、親から肯定され、とにかく部屋にこもって勉強さえしていればよかったのが 仕事はそれだけではすまないから当然の結果ということも書いてあったのですが。
私が以前勤めていた会社には誰もが知っている大学を卒業し、優秀な成績をだったという噂の人がたくさんいました。 でもその人たちが全員、成功していたかというとそうでなかった。 履歴書は周囲で抜きん出ている人が、誰にも相手にされず、腐っていくのを目の当たりにしました。 当時の私は若かったので、その人を「単にやる気のない人」だと思っていましたが きっとその人は周囲の人とどう会話して、仕事を進めればいいのか、わからなかったのかもしれないと合点がいったのです。 能力がなくても、学歴は良い、口の上手い人が出世するのも理不尽に思いましたが、 自分をわかってもらう、相手をわかってあげるという事ができなければ、いないも同然で仕方ないのでした。 仕事で圧倒できる能力があれば、それすら払拭できますが、それこそ一握りの人にしか与えられない能力です。 やはり国語をおろそかにしてはいけませんね。あといろんななるべくいろんな人と出会う、経験をすることも。
生きることはモデルケースなんて本当はないと思うのですが 幸せになりたい一心から、幸せそうに見える、ごく一部の成功を自分の身に置き換えがちですね。 先が見えない、不安だからこそ、今、自分が幸せを感じる努力をするほうが建設的だと思うのですが。 そんな事を考えさせられる本でした。
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