岡野宏文 豊崎由美 ぴあ 2004年
好きですね。好きそうでしょ。その通りです。 まだ全部読んでいませんが、どこからでも、好きなところからいつでも読めるので、重宝な本です。 既読本に関しては、なんとなく感じいていた違和感が、実にクッキリハッキリとそのダメさを指摘してあるし、 今のところ「そうかな、私はよかったよ。」と反発する気持ちは起きていない。 だから未読本は、読むか否かの参考になる。
既読で代表的な本でいえば、松本清張の「砂の器」。 昔っから何度も映像作品になっているし、何かと話題になっていたし、作者の他作品についても取り上げられるので、 1回くらい読んでみなくちゃと、最新テレビ化される以前に読んだのですが「え?これ?こんなんなの〜〜〜」とがっかり。 がっかりした理由は、まさに「百年の誤読」に書かれているとおりで、「うんうん、そうなのよ」と激しく縦揺れ。 もちろんテレビドラマも見る気が起きませんでした・・しかしテレビドラマではこの小説の肝である部分が変更されていたのだと、この本で知りさらに驚く。なんじゃそりゃ・・・。
未読の代表格は三浦綾子の「氷点」です。 これも名作とされているのよね、やはり頻繁に映像化されていますよね。でも一切見たこと無い。(自慢?) この小説を知ったのは高校時代、国語の時間でした。国語の教師がやったらめったら毎回しつこく繰り返し、三浦綾子を褒めちぎるんじゃ。 私はその国語教師が非常に胡散臭い人物に思えていたので、当然ながら三浦綾子を読む気などなれなかった。 胡散臭いと思った瞬間1:毎回三浦綾子を褒めるために授業が進まない。三浦綾子のエージェントかと思う。 そして、三浦綾子しか読んでいないのかと疑うくらい、他の本の話題が出ない。 瞬間2:自分の教え子がマンガ家になっていかに親交があるかを授業中に説明。 瞬間3:中には純真な学生がいて、その教師のほにゃららした物腰と勧める本から良い風に勘違いし、慕ってしまったりするのね。 で、就学旅行のお土産とか買ってしまって、それをまた授業中に声高に喧伝したりして、さらし者。 あの瞬間のさらし者にされた学生の居心地悪そうな顔は忘れられません。まぁつまり場の空気を読めない先生というわけなんですけど・・ しかし、私がやがて大人になり、自分が嫌いな人間が好きなものを嫌うこと(坊主にくけりゃ袈裟まで憎い式)は良いものを見逃すことになるかもしれないと思い直し始めていたので、いつかは読んでみようかと思っていたのだった。 でも、この本のおかげで読まなくてもヨシと判定できましたよ。そんな時間あったらもっと楽しい本を読もう。
それにしてもあの国語教師の胡散臭さは本物だった。後年、再会する機会があったのだけど裏付けが取れること続出。 周囲の人間も相当引いていたので、大人になったら誰でもわかることなんだけど、やっぱり子ども相手だからそんなにバレなかったんだね、うふ。 類は友を呼ぶというけど、本も呼んでしまうのね〜〜 でもこれってある意味、自分の首をしめているような気もしないでもない・・。
その他、表現の陳腐さ、クリシェなところも沢山の題材で指摘していて、改めて抜書きされるとマヌケで面白い。 普段、あまりそうしたマヌケな表現とか多発する小説読まないんだけど(読む場合、目が勝手にとばしていることあり) 最近、某芥川賞を取った作品を読で珍しく引っかかってしまいました。
普段、本好き(のはず)で読書感想みたいなもの書いているくせに、大して読み力も書く力もない私ですが、 ダブルで同じような比喩を繰り返して、ダイレクト過ぎて浮いていて、何故かこれは気になりました。 ローザンヌコンクールを使ったりしているからかな・・ もちろんそんな細部だけでなく、小説の内容も好きでないのだから余計点数は厳しくなると自覚しているのですが・・
こういう賞って、この作品が素晴らしいから取るものではなく、作者の実績などが考慮されて「そろそろあげようか」的なニュアンスもあると嘆かれているけど、これに限っては本当にそうだと思わされるものですね。残念!て珍しく攻撃的かな。
話しがそれまくってきましたが、とにかく楽しく読めます。 下段の注釈もお楽しみ。為になります。著者たちが自分で自分をツッコミ入れているところも、よいです。 さくらももこ「もものかんづめ」の批評も多いに共感!ナイス「メルヘン翁」っす!
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