私の友人の悩みの1つには大抵、友人とのつきあい方があります。 何がどう困っているかというのは一口ではいえないので、略して「合わない」ってことなのでしょう。 この友人の悩みは別段珍しくもなくて、世の中には友人だと思っている人が、自分を悩ます場合が少なくありません。 悩ませる相手は、きっと自分が悩みの種になっているなんて全く気付いていないと思います。 そういう人は、遠まわしに「困っていること」を言っても気付かないことが多く、また結構マイペースなので 自分にとってはたいしたことないと思って、相手が困っていることに気付かないのです。 ハッキリと困っていることを伝える、これは出来る人には簡単なのですが、 困りつづけている人には、難しいことなので、悩み続けることになるのです。
私も若い頃は同じように友人に悩まされていました。小学校から20代前半までずっと。 友人関係とはそういうもので、合わないけど、なんとかやっていかなくてはならないものだとあきらめていました。 わ!なんて暗い人生でしょうか。でも、本当にずっとそう思っていた。暗黒10代。
でも現在、私は友人だと思える間柄の人からはひどいことはされないし、悩まされてもいません。 何故そうなったかというと、それは言葉の問題なのです。 私にひどいことをする人は友人ではなく、赤の他人、もしくは知人だと気付いた時からです。 学生時代の同級生とかも、「たまたま学校が同じで、クラスが一緒の、同性の赤の他人」ということになり悩む必要はなくなったのです。 詭弁ですか?まあそうなんですけど・・でも言葉って大切ですよ。
時には「私たちって親友よね?」と確認しつつ、無茶な事をいう人もいましたが 赤の他人の知人が、無理難題を言ってきても、ごちゃごちゃ面白くないことを言ってきても、 友達ではないので親身になる必要もなく、気にならなくなってしまいました。 その人が全く連絡をよこさなくても、誘ってくれなくても、ま〜ったく平気になるのです。
だから、若い人たちは友達の数を心配し、親友という言葉に踊らされているような記事を見る、 そういう現場の話を聞くと、うっ気の毒とよく思います。
私はすご〜く友達は少ないです。でも私ややこしい難しい性格かもしれないし(笑)、身体も強くないんで沢山の人と、幅広く付き合うことは無理なのです。 職場や家族やら、逃れられない仕方ない人間関係でも難しくて大変なのに、赤の他人で悩みたくないわ!というのもある。 今、いてくれる私の友人と、私が好きな人のことを考えるので精一杯で、赤の他人のことまで気が回らないのです。 私はダメな子なので、友人の誕生日すら忘れそうになるのでドキドキしていますし・・容量が少ないのです。 自分を知っていると言うか。無理はしないのです。
だから、友人が多い人とか、自分を苦しめる友人についてまで真剣に考えてあげる人ってかなり余力のある人だと感心もしています。 前述した友人も、そういう意味で、嫌味とかでなく、頑張るってるなと尊敬しています。私だったらすぐにあきらめちゃう。 私より付き合いが広くて、いろんな人と友人になれる、そして心をくだける人が、私の友人でよかったといつも思っています。 でも、ちょっと疲れたら私が話しを聞いてあげたいし、私は疲れさせないようにしたいなと思っています。
友人と好きな人(友人になりたいと思っているけど、相手はどう思っているかわからない人)以外はただの通りすがりの人て楽ですよ。 でも、やはりちょっと冷たいのかもしれないなあ・・と思いつつ。
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