| 2004年11月01日(月) |
読書「居場所のない子どもたち」 |
「居場所のない子どもたち アダルトチルドレンの魂にふれる」鳥山敏子 岩波書店 今ここに生きる子どもシリーズから
「どうして現代はこんなに子どもを育てにくいのでしょう。どうして子どもは育つのに課題が多いのでしょう。」 という長く続いた疑問に答えてくれる1冊でした。 といってもこの本でなんとかなる、と思ってはいないのですが・・・・
人は一人で生きているのではない、という当たり前のことを再確認できる本です。 家族、学校、社会、国、世界が密接に関わって、一人一人に影響を与えつづけているのです。 不登校、過食症、虐待、アルコール中毒、病気、なんらかのサインは大なり小なり、その影響によって現れているのだと もともと推測していたことですけど、改めてそう思わされました。
結婚する時に、親を見てもらえ、結婚は家と家の結びつきという言葉を思い出しました。 突然、親や家の話しに飛ぶと、とっぴな印象を受けるかもしれませんし、結婚は本人同士の関係、本人たちがよければ それでいいじゃないか、と思われるかもしれません。そうだったらいいと思いますが・・ でも、この本を読むと親との関係やどう育ってきたか、という事は非常に重要だとわかる。 それはダメな親に育てられたから、ダメということではなく、 大人のモデルとして一番最初に現れるから重要なのです。 そして、自分がその経過を認めて、見過ごしてないか、という事が幸福の鍵になるのではないかとも。 親と適度な距離関係、自分も含めて客観的に見つめることが出来ているかということなんですけど これはなかなかにして、できている人は少ない。私の周囲でも危うい人はすくなからずいる。
とはいえ、今、アダルトチルドレンでない人を探す方が困難なんじゃないかと思えます。この本に書いてあるように。 この本を読むことは、まるで「家庭の医学」を読んで「私もこの病気なんじゃないかしら?」と不安になるように 自分もアダルトチルドレンだったんじゃないかしらと思えるようになるかもしれません。 昔、アダルトチルドレンという言葉が認知された時に、その言葉を免罪符に、 居直ったり、逆キレしたりする人も大勢いたと思うのですが、その大勢がウソをついていたわけではなく、多かれ少なかれ、 ほとんど全ての人がアダルトチルドレンの可能性があると思えます。
今の子どもが恵まれている、幸せだと思い込んでいる大人ほどその傾向も強くなり、 子どもをダメにしている可能性が高くなる印象を受けました。 私たちの世代の親たちからすると、確かに便利で物質には恵まれた時代を過ごしたのですけど しかし、心は便利さや物質の豊かさでなんとなるものではないのです。それくらいわかっていいはずなのに 親世代が分かっていないのです。なぜわからないか、それはその親世代が本当に心が育っていないこと 育つ環境を与えられなかったからだと思います。
つまりほとんどの大人たちが、心が豊かではないのです。 でもその人たちは多数派で、それが当たり前の世界なので 認めようとはしませんし、考えようともしないのだと思います。 多数派が必ずしも正しいとは決まっていないとわかっていてもです。 そしてそういう価値観の親のもとで、「いい子」大人に気を遣う子で あればあるほど、その子の危機は見過ごされていくのでしょう。 親に反抗できたり、意思を伝えられる場合はまだいいのですね。 親からすると手間がかかる、と不満があってもです。 そして子どもらしく育てる、ということは決して甘やかすことではないという事、当たり前ですが その当たり前さもわかっていない人の方が多いと思います。 父親が娘を可愛がって母親と向き合っていない話しは、気持ち悪かったし、なるほどなと思えました。
私自身子どもの頃、かなり母に反抗的で、父も嫌いでした。弟たちばかり可愛がられて、私には厳しい、と怒り狂っていました。 それを当人たちにも告げていたし、私なりに反抗していたからまだよかったのだと思います。 それでも寂しい事には変わりないし、病気がちで辛かった。学校でもイジメにあっていたし、本当に居場所なんてなかった。 でも、世間一般からしたら恵まれた家庭環境で、不平不満をいうなんて、 私のわがままとしか思えない状態でしたのでますます息苦しかった。
でも、社会人になって親元を離れて、たまに帰ると家族はとてもやさしかったのです。そこでやっと甘えられた気がしました。 気の置けない友人ができたのも、私の気持ちが休まる理由の1つでした。緊張が解けた時期だと思います。 そして大人になって、家族から離れて、客観的に自分の家族をも見つめられてわかったのは 母も、その母(私の祖母)も子どもらしい子ども時代を送っていない(複雑な事情がある)という事実でした。 母は自分の母(祖母)に不満を抱いているし、祖母は自分の伴侶のことでも苦しみ、自分の娘にたいしても不満でした。 以前からその断片は知ってはいたのですけど、本当の意味でわかってはいなかったんですね。 多分、おおっぴらではなくても、私は子ども心にそんな二人の母親に気を遣ってしまっていたのです。 長女の宿命ともいえるありふれた悩みの1つですが・・・本当に特別なことではないのです。 結局、先祖から脈々と続いている、因縁とでもいいようのない続き物の傾向は私の代でやっと止められそうな気配です。 私は気付いたからです。完全に消え去ったとは言えませんが、そういう事も含めて母親にきちんと話しを出来たからです。
誰もが多かれ少なかれ、家族の中で不平不満を抱くでしょう。子どもらしい時代を過ごさせてもらえる人なんて ほとんどいないと思います。だから相手を責めるのではなく、自分で自分を見つめ直す機会が必要で、 そういうチャンスに恵まれたいと願わずにはいられません。
前がきに、1歳の女の子が、夫婦仲が悪いのを察知していて、父親が深夜に帰宅するのに見計らって起き出して、 父親を迎え、母親とケンカにならないように、クッションになっている話がありました。 1歳から気を遣いつづけているのです。なんという健気さなんでしょうか。 母が姑たちにいじめられないように、祖母にご機嫌とったり、よい子でいつづけているのに、 母からは祖母と仲良くしてと恨まれる子の話しなど、あまり自分本意の大人たちに哀しくなります。 身体を病気にしたり(或る意味擬態)非行に走ってまで(無意識に)親たち親たちの 気をまぎれるようにする子どもたちも紹介されていました。 あまりに極端な事例ばかりで、いささか評価し辛いところもありますが、 多くの事例のエッセンスを集めたので仕方ないでしょうし虚構ではないとわかります。 何故なら、今現在ニュースで知る虐待に合っている子どもたちも、大抵は親を庇うといいます。親が子どもであるから、 子どもが親を心配し気遣う。そしてその結果、大きくなった子どもがまた同じ事をするのです。 今大人である人全員が、1日も早く自分が大人になっていないことを自覚して、なんとかしてもらいたいと心から願います。
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