| 2004年07月17日(土) |
読書「女という快楽」 |
上野千鶴子 勁草書房 1986(2001年17刷)
これも前から読まなくては、と思った本でやっとこさ頁をめくることができました。 なんとなく思っていたこと、知りたいこと、興味あること、考えたいことがズラーっと並んでいます。
人は家族、学校、世間、仕事場といろんな場所でいろんな役割をやっている。 私は当たり前だが、どこにいっても女性らしい役割をこなしてきた。 特にいやではないけど、とても居心地悪いような気もする。
厳密にいえば、私は女性であるが故に、女性の立場でしか考えられないと思う。 でも、時々同じ立場である女性でも、全く共感できない人にであったりして でもそれが一般的には「女性らしい」とされていることであることが多く、 では私はそういう意味で女性らしくないのかと思ったり、 では男性に近いのかというと、これも全くそうでないと思う。 男性的な考え方をしている、といわゆる女性らしい人からはよく評されていたけど 男性からしたら、違うと思う。私は男性からしたら、怖い女性でしかない(苦笑) 私の思う男性らしさ、と男性の男性らしさもかなりズレがあるから当たり前だ。
若い頃から両方の性から自由になりたい、なんて夢想していたことがよくあったけど そうした、女性らしさを求められる雰囲気の中で、私が思う女性らしい人と 対峙して、しかし世間からはその括りの中に、放り込まれる違和感ともめていた気がする。 女性らしさには長所と欠点がある。何事にもそうであるように。
女性と男性の関係の有り方、社会での有り様が激しく変化しているこの数十年だ故の悩みであるかもしれない。 女という快楽、女でしか得られない快楽を、味わいたいと思ってはいる。 でもそれが何かを確かめるため、こうした本を読み重ねてしまうのだと思う。 今は女である、と実感することがそれほどないので、楽といえば楽であるが。
◇ピックアップ 「14.女のかしこさ」は特に私の前から疑問に答えてくれる話しが提示されている。 「利口」と「かしこい」人の違いもかかれていて、とても納得できる説明になっている。 私はこの間、「トリビアの泉」で紹介された「急度馬鹿」なんじゃないかと思っていたんだけど
この章の”女のケンカはうさぎのケンカである”という説で、 女は敵意や憎しみという感情を自分の中で処理するのになれていない。」 というのは、近年大変増加している気がする。 女性の感情的な事件の数々を思い起こさせる、と思いませんか。 うさぎやめんどりのケンカは、当事者の片方が死に至り、勝ち残った方も致命傷を帯びるという 壮絶な戦いだそうだから。 だから「女はかしこくない」とかいてあるけど、でも、そういう教育を受けていないから そういう結果になるだけで、訓練次第ではなんとかなるということか。
どれほどの昔にさかのぼるのかわからないが、昔は人が少なかった。 そして、女は家に閉じ込められて、社会で現在のような人間関係のストレスを受ける率は 少なかったんじゃないかと思われる。 この章で書かれているように、自分より優位にたっている主人やその親などには 逆らえないので、すねるくらいしかできなかったのだから。 でも、今は違う。自分とそう変わらないと思われる人との接触が日常茶飯事。 でも、同じではないから、差異が生まれ、時には恐ろしい感情も生まれてしまうのだろう。 そういう時にどうするか、まるで教えられていないのだ。
男性がかしこいままかというと、現在は違ってきているからだ。 男性というか子どもである男性にも、既に敵意とか憎しみを処理する訓練は受けさせられていないと思われる。 そうしたものが無い、と育てられている気配が濃厚だからだ。
男女の差別をなくすのは結構だけど、生きていく為に有益になる知恵を排除していくことはないと思う。 でも、それを推し進めているのは、やはり女性が主だなあ。 やっぱり女はかしこくないのだなあ。ガッカリ。だからって男はかしこいってこともないですよ。
かしこい人とかしこくない人がケンカするとどうなるか、かしこい人が負けるそうですよ。 「相手の立場をおもいやれるかしこい人は退くからです。 かしこくない人がケンカに勝つには、かしこく無い相手に同じくらいかしこくなってもらうのを 辛抱強く待つか、もしくは、もしくは力で負けて、理で勝つことで 他人を理解しても、他人からは理かいされない、孤独なもの」だそうです。 いいこと無いねぇ、みんな寂しいからかしこくなりたくないんだねっ。
常日頃、考えているわけではないけど、どうしても人間のマイナス感情に敏感なせいか こうした話しに着地してしまう。でも、この話しはとても役立ちました。
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