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普通とは何ぞや     2007年12月20日(木)

私の育ち(って言うのかな)は同世代(第二次ベビーブーム)の同地域(北海道の片田舎)の中でも平均以下である。何を根拠に、とかデータを出せ、と言われると困るが、んなもん生活していればわかる。
多少好きな服を買ったり本を買ったりは出来たけれど、私が一人っ子でなかったら、子供のいない伯母や祖母(つまり孫も私だけ)のフォローがなかったら、果たしてどうだったか。

何より、進路に自由がなかったのが今でも一番悲しい事だった。
「国公立なら」「短大なら」という選択肢もない。一番悪いのは働きながらでも学ぼうという情熱を持たなかった私だったのだろうけれど。
代わりに自動車免許でも……という事もなく、就職先には寮があったが、最初の給料日までの生活費や身の回りの支度などという事にも無頓着な親だった。
そんな境遇の私にとって「普通」とは常に自分の頭の上にあるものであり、自分を「普通じゃない」「普通になれない」と称するときは「普通以下だ」と言っているのである。

相反するようだが、私は「普通じゃない」という言葉にあこがれる事もある。境遇や能力は「普通以下」でも、発想が「普通」な自分が、本当につまらない人間に感じるのだ。この場合の普通は「平凡」とイコールになる。

「普通じゃない」と言われた!!と怒る人がいる。その場合は「常識的ではない」という意味合いで言われたと思い、怒りを感じるのだろう。が、私にとっては「非凡な発想」を意味するようで時折羨ましく感じる事がある(本当に非常識な人もいるのでなんとも言えないが)。

本当に「普通(かそれ以上)」の生活をしてきた人が自分を「普通じゃない」「普通になれない」という時はおそらく「普通よりも上だ」とははっきり言わずとも「個性的だ」というニュアンスで使っているのだろう。
そのニュアンスは本当にいやらしく染み出してくる。前後の文脈に客観的でない自慢話が入ってしまうからだ。自分を「個性的」なんて思える厚顔さが羨ましくもあるが、正直ひいてしまう。
矛盾しているかもしれないが、結局はその言葉を発する人の人間性なのだろう。もしくは私のひがみ根性だ。

「常識的」で「平均的」な生活が出来る点では「普通」が良い。が、「普通じゃない」、「非凡」な発想「優秀」な頭脳が欲しい……。
「普通」もなかなか難しい。






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