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No-Mark Stall *




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たくらみごと。 | 2008年06月20日(金)
控えめなノックの音が、ぼんやりと物思いに沈んでいた彼女の意識を引き上げた。
誰何の声に応えたのは従妹のもので、リズはすぐにドアを開けて彼女を部屋に招き入れる。
「ねえ、リズ。あのね、ちょっといいかしら」
そう言って、どこか怯えたように様子を伺ってくる従妹のお願いに、暇を持て余していた彼女は承諾の笑みを零した。
ぱっと顔を輝かせた彼女が支度をしてくると部屋を飛び出す。外出用の上着と靴を取り出して、あれではすぐに見つかってしまうでしょうにとリズは微笑んだ。従者の目を盗んで出かけたいという割には用心が足りなさ過ぎるが、外見は妙齢の愛らしい娘であってもその中身は十を過ぎたばかりの子供のままであるのだからしょうがない。
規律にうるさいように見えて存外悪戯好きのリズは、従妹のベティとよくつるんで家の者にあれこれと仕掛けたものだ。成長してからはベティをたしなめてばかりだったが、久々の企みごとに心が高ぶる。
上着を羽織る前に廊下に出て、最大の難関である従者の姿を探す。ほどなく中庭に彼の姿を見つけると、リズは首を傾けて少し考え込んだ。

「ヴィクター」
「なんでしょうか、リズ様」
どうやら植物に水を遣っていたらしい彼は、手を休めて冷静な表情で振り返る。
「エリーゼを見なかったかしら」
ここでベティのことを聞いて、意識が彼女のことに向かってしまっては危険だ。リズは同じく屋敷に滞在しているはとこの名前を出した。
彼は思案するように幾度か瞬き、いいえと答える。
「何かご用事でもございましたか」
「いいえ、普段あまり会う機会もないし話したことも少ないし、せっかくだからお茶でも一緒にどうかしらと思っただけよ。あなたはしばらくここにいるの?」
「この水遣りを終えたら、町まで少々買いものに出るつもりでいますが」
何か頼みごとでもあるのかと言外に問いかける彼に、リズは首を横に振る。
「エリーゼに会いそうだったら言付けを頼もうかと思ったのだけど、外に出るのじゃ会わないわね。あなたが不在の間、勝手にお茶を入れていても良いかしら?」
「どうぞご自由に。茶葉の場所などはご案内致しますか?」
「知っているわ」
軽く笑んでリズはその場を離れる。屋敷を抜け出るならば彼が出かけた後にすべきだろう。ベティがこっそり出かけようと言い出したのも、ヴィクターが家を離れることを知っていたからに違いない。

そう考えたリズはそのまま自室には戻らず、ベティのもとを訪れる。あの男が彼女に挨拶もなしに屋敷を離れるはずもなく、であれば嬉々としてお忍びの支度をしているベティのもとを訪れて計画がおじゃんになる可能性はかなり高い。
彼女の部屋を訪れると、ベティは以外にも平然としてチェスの駒をもてあそんでいた。
「支度は良いの? ベティ」
「だって、ヴィクターが出かけてからじゃなくちゃ見つかっちゃうわ。すごく勘が良いのよ、ヴィクター」
「あなた、彼が出かけることを知っていたのね?」
紅茶色の瞳が悪戯っぽく光る。言葉のない答えに、リズは自分の推測が当たっていたことを確信して遠慮なく笑い声を上げた。従妹の心は幼いままだが、その性格は大して変わっていないようだった。
「どうやってごまかそうかしら」
「私のドレスを見せてあげる。着せ替えっこしましょうよ。そうしたら上着が出ていても不思議じゃないでしょう?」
利発で無邪気で悪戯好きの、可愛い従妹の頬にリズは軽い口付けを贈る。
リズはベティに似合いそうなドレスを何着か見繕って従妹の部屋に戻る。自分が着ていく上着をドレスの山の下の方に押し込めると、黒い喪服ばかりの従妹に何色が似合うかとかなり本気で吟味し始めた。
「こっちの色はどうかしら。深緑のドレス」
「リズには似合うけど、私じゃ目の色が違うから無理だわ」
「ううん、結構難しいわね。私たちの髪の色はかなり派手だから、淡い色じゃ負けてしまうし」
ああでもないこうでもないと談笑する彼女たちの元へ、外出の旨を伝えにヴィクターが訪れる。

「……。何をなさっておいでです?」
「着せ替えっこよ」
珍しく驚きを見せるヴィクターに、ベティは満面の笑みで答えた。ベッドの上には出しっぱなしにしたドレスが何着も折り重なり、何着もの靴やリボンやパニエが絨毯の上に転がって、部屋はかなりの惨状だ。
「……服を出すのは結構ですが、出したものは片付けてくださいね。私はこれからしばらく出かけてきますから」
「どこ行くの?」
「町ですよ。幾つか日用品の在庫が切れかけているものですから、その前に補充を」
普段のベティであれば、屋敷に取り残されるのを不安がって引き止めるような言葉を口にしているところだ。けれど今はリズがおり、しかも夢中で遊んでいる最中。いってらっしゃいとあっさり彼を見送ったベティに、ヴィクターが違和感を覚えることはないだろう。
ぱたんと扉が閉じられ、娘たちはあれやこれやとお洒落に熱中しているかのようにきゃあきゃあと声を上げる。十の少女であろうと二十を越えた娘であろうと、そのあたりは変わりはしない。
「……行ったかしら」
さりげなく窓の外をのぞくと、ヴィクターが馬車を駆って門を出て行く様子が見えた。
「……行ったみたいね」
既にふたりとも上着を羽織り、靴も外出用のものに換えている。
笑みを見交わし、ふたりは行動を開始した。

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存外ベティはおしゃまさん。
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