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No-Mark Stall *




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氷の樹木。 | 2008年04月28日(月)
歌がきこえる。
心地良くまどろんでいた意識を苦労して引きずり上げ、シアシェはゆっくりと瞬いた。
背もたれ代わりにしていた壁から体を起こす。石造りの床に寝ていたせいで凝った体をほぐしながら彼女は周囲を見回した。
少し離れたところで黒髪の美しい娘が歌っている。数階に渡る吹き抜けを突き抜けるような高く澄んだ声は気を抜けば意識を持っていかれそうなほど強くこちらを惹きつける。
広々としたこの練習場は常ならば鍛錬に励む生徒たちで賑わっているはずだが、しかし今は彼女たち以外誰もいないようだった。

歌は続く。
ゆったりとした調子が駆けるように早くなり、心を騒がせた。
周囲の空気もそれに引きずられるかのように歪み、世界が変容していく。
その様子に、歌姫はただ歌を歌っていたのではなく魔法を紡いでいたのだとシアシェは悟った。その有効圏内にいるのか肩が重くなるような感覚が続く。
ぱきりぱきりと何かが凍るような繊細な音が耳を打ち、歌姫の目前に氷の彫像がかたちを為し始める。ねじくれた螺旋の樹木は凍りつく枝を天へと伸ばしてゆく。やがて吹き抜けの終わりに辿り着いた枝は数を増やし、横へと伸び始めた。
やがて歌は終わりを迎え、残ったのはただ細く高く、複雑に枝を巡らせた氷の樹木ただひとつ。

「……また大きなものを……」
「あら、起きていたの」
歌い終え、満足そうに息をついていたクリスが笑みを浮かべて彼女を振り返る。立ち上がったシアシェは彼女の元まで歩み寄り、軽い溜息をついた。
「途中で起きた。これ作ったのはいいけど処分どうするの?」
氷の樹木の枝は四方八方に伸び、真下から見上げるとまるで氷の網に捕らわれたかのような印象を受ける。
「そうね、……溶かす?」
「後始末まで考えて作ろうよ」
軽く肩を落として呆れていることを主張するシアシェに、クリスは不満げに口を尖らせた。
「調子を見るにはもってこいなのよ、この術。歌詞や旋律だけでなく歌うときの感情や息継ぎの仕方ひとつで枝の伸ばし方が変わるの、面白いと思わない?」
「ふうん。それで調子はどうなの?」
「上々だわ」
満足げに微笑む彼女は確かに元気そうで、シアシェはうんと頷いた。
「じゃ、片付けるよ」
「片付けてくれるの?」
「だってクリスのやり方だと時間かかりそうだし」
彼女が魔法を喚び出す手段は歌だ。歌が終わらないと魔法は完成しない。
「失礼な。早くしないといけないときは早くできますのよ」
「それは知ってる」
笑みを浮かべてそう言うと、クリスは「ならば良いのです」と嬉しそうにはにかんだ。
シアシェはさてどうやって片付けようかと周囲を見渡す。
氷は早くも解け始めているのか、袖や頬にぽたぽたと雫が落ちる。すべてを溶かすと結構な量になりそうだ。まったくどこからこれだけの氷を呼んだのか、彼女の力量に呆れそうになりながら、シアシェは己の魔法を紡いだ。
「ヨーレのエディス、言祝ぐ春の喜び、章の三」
クリスの魔法が歌によって導かれるものならば、シアシェのそれは詩の一節を唱えることで生み出される。

魔術師たちがいかに己の魔法を世界に打ち込むか、その手段は千差万別、術師の数だけあるという。歌もあれば詩を詠むのでもよし、図式や数式を用いて術を完成させる者もある。
いずれも基礎的な論理は変わらない――世界に己の想像を具現させる、ただそれだけ。
言葉や図式はその想像を固定化させる手助けにすぎない。この歌をうたったとき、あることが実現する。手段は手段でしかなく、それ故に個々の適性によってそれは異なる。一番多いのは決まった呪文を詠唱するものだが、これは単に術師たちが基礎を学ぶ<塔>という組織では呪文の詠唱という行為でもって魔法を使わせるからにすぎない。
ある程度の魔法を理解した者たちは、己のやり様を編み出していく。クリスの歌など最たるものであるし、シアシェの詩の暗誦は実のところ呪文の詠唱とさして変わらない。変わらないが、法則の完成したお仕着せの呪文に飽きた彼女は自らが気に入った言葉を用いて世界を変える。

「――いずれ老いゆくさだめを知らず、春の娘はただ言祝ぐ」

融け始めた氷の網は枝の先から姿を消してゆき、まるで時間を撒き戻すかのようにするすると縮んでいく。
やがて跡形もなく樹木は消え去り、名残はただすでに零れた雫が残した染みのみとなった。

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魔法の説明がいまいち上手く説明出来ない。
written by MitukiHome
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