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2003年04月08日(火) 振返ると。。。 =oh, I think about my past life=

日本にあと2ヶ月で引き上げる。
アメリカでやり残したことはないよ。
自分に挑戦できた。
この挑戦をどれだけの人ができるかというと、
日本の人口一億人以上いても、
1000人以下かもしれない。
どんな結果になったにしろ、
その千人の中に入れたのだから、
文句を言えない。
じゃないと、文句をいうための人生か?ということになる。

今までの人生を振りかえると、
なに不自由なく生きてきた。
五体満足だし、三度のおまんまも食べれる。

人の作った借金を返済する必要もないし、
戦争で、肉親が死んだわけでもない。
毎晩晩酌して、そして、布団で眠って。
毎日取り替えて着る服もある。

多少の借金はあるが、大した金額じゃない。
それは、5000ドルくらいだから、ちょっとがんばれば、なんとかなる。
だから、感謝して生活をするようにしている。

俺のおふくろは、42才で亡くなった。
自分が13の冬で、妹が11だった。

自分の先輩は、37で忘れ形見の幼い娘達を二人残してガンで死んだ。

無念だったろう。

だから、自分は、いつ死んでもいいように生活をしてきた。
じゃないと、人を許すこともできなくなっちゃう。

自分は、後一週間で、35才になる。
思い通りにならないことは、あったが、
やりたいことをしてきた人生だった。

もし、交通事故で明日死んでも、文句はないな。

だけど、そうなったとき、一つだけ心配なのは、よめさんだよ。
あと、お世話になった人に恩返しができないことだね。

よめさんには、申し訳ないことをした。
アメリカに、来たくて来たわけじゃなかった。
友達がいない。友達を作ろうとしても、自分が極度の人見知りのために、
その仲を壊してしまうことがあった。

その後、よめさんは、友達を作ることをあきらめてしまった。
だから、話す人は、自分だけだ。
四六時中いっしょにいれは、言い争いになるのは、目に見えている。

親の援助なくアメリカで生活できたのは、間違えなく嫁さんのおかげだ。
でも、よめさんには、そのような仕打ちをしてしまった。

また、貧乏をさせてしまった。
まだ、本当の意味でよめさんを幸せにしていない。

根性論だけでは、世の中通じないところもある。
だが、それだけで、生きようとした。

自分は、この結婚は、成功だと思う。
だけど、嫁さんは、そうおもっているかな?

本当にごめん。


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