どうでもいいことだらけなわけだ。
年の瀬の足音がひたひたと近づいて来ているわけだが、今年の観劇回数が、あと2本で去年と並ぶところまできた。今年はもう少し減ると思っていたのだけどなあ。少なくともまだチケットが手元にない「予定」扱い分が1本、期間内有効のチケットでいつ行くか決めていないのが1本。行こうかな、と考えているのが最低1本。お、越した。
これに対し観劇本数だが、大劇場公演と東京公演は、それぞれ一本として数えるのか、本公演としてまとめて1本と数えるのか、迷う。もう最近は大劇場千穐楽後、間を置かずして東京に来るから、そんなのはどうしよう。東京公演が年明けにあたるような場合も。中日や博多座は、あくまで役代わり公演として、別扱いにするけどさ。
某日観劇録さんのエントリ経由、LIVESTOCK DAYS「風琴工房の劇団員規約」を読んで、宝塚の人は作品についての勉強はするけど(資料の差し入れもあるから)、いかんせん「忙しくて」あまり観劇はしてなさそうだな、と。いつかの児玉っちのぱくり疑惑のときに、某掲示板で「知見を深めること」(趣旨)と云うコメントをいくつか目にしたけれど、それと同じで、下級生のうちにいろいろ観たり読んだりすることが、上達のひとつの標になるのではないかと、思ってみたりみなかったり。(上級生やお金持ちの小母様に、連れて行って貰うのだ)
「ケの」が「毛野」になっちまうぜ。変に鍛えすぎたか。
いまのところ、宝塚は一公演につき、それほど回数観に行くわけではないから「ハレ」だけど、入り浸ってるのではないか、と云う風になった場合どうなるのだろう。ファンクラブの幹部さんとかスタッフさん以外で、義務でなくほぼ毎日観に行くような人(いるのか?)にとって、宝塚はどういう位置づけになるのだろう。大劇場と東京ではまた違うだろうし。
肉せいろ(蕎麦)(時間が経ち過ぎてダマになってたよ)