日々妄想
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緩慢に朽ちていくはずだった城に足を踏み入れると、何処からともなくピアノの音が聞こえてくる。 二階のホールにピアノが置き去りにされたままだった事をアッシュは思い出す。 まだこの城が客人を迎え、華やかで煌びやかだった頃の名残が垣間見え、心を少しばかり痛めさせたものだ。 一度開いて鍵盤を叩いてみたが、案の定音は酷い有様だった。 だが、今アッシュの耳に入ってくる音色は狂いも乱れもない。 調律を施したのか、酔狂な。と、今この音色を奏でている奏者に向けて皮肉げに口の端をあげる。 その酔狂な演奏者に興味がわき、足を二階へを向ける。 流暢なメロディを聞きながら階段をのぼると、ふと、アッシュの脳裏に過ぎ去った景色が蘇る。
あれは、屋敷の中庭だった。 少し大きめの麦わら帽子をかぶって、背を丸めて庭の土をいじっていた。 隣にペールの姿はなく、彼一人で。 珍しく彼は楽しそうな様子で、歌を、そう歌を歌っていた。 彼の歌声を聞くのは初めてで、そして何よりも彼が年相応の少年らしさを無防備に晒している事が珍しく「ルーク」は声をかける事をせずに、その歌声をただ耳を傾けた。 変声期を経て少し低くなった声で歌う。 その歌を「ルーク」は聞いたことがなかった。 市井で流行している歌なのだろうか。 ぼんやりと考えていると、こちらの存在に気づき、彼が歌をとめる。 ゆっくりと立ち上がり、庭師の孫にしては優雅な仕草で麦わら帽子をとると、軽く一礼する。 「続きを聞かせろ」 そう促すと、彼はゆっくり微笑んで 「お聞かせするようなものではありません、ルーク様」とやんわりと拒否をする。 「言葉」 短く咎めると、困ったように眉尻を下げて笑う。 敬語を使うのをやめろと何度「ルーク」が言っても彼はなかなかそれをあらためようとはしなかった。 「ガイが歌うなんて珍しい。続きを聞かせろ」 再度、そして拒否出来ぬように強く乞う。 ぎゅっとガイの拳が握られたのを分かっていたのに、恥ずかしがっているのだろう、と呑気な勘違いをする「ルーク」を止めたのは誰だったのか。 その記憶は曖昧だが、あれ以来ガイの歌声を聞くことはなかった。
これは、あの時ガイが歌っていた曲だとアッシュは気づく。 そっとホールの扉を開くと、そこにはめったにみせぬ穏やかな表情でピアノを奏でるヴァンの姿があった。 彼の武骨な指からは想像もできぬほどに軽やかに、そして穏やかで優しい旋律を奏でている。 だが、それも最後まで聞くことは適わなかった。 「どうしたアッシュ」 音が止むと同時に声を掛けられる。 ヴァンは、誰もが恐れる主席総長の顔になってアッシュを見ている。 先程までこの部屋を覆っていた旋律が幻のように感じられるほどだった。 「弾けるとは知らなかった」 「嗜みだ。お前も弾けるだろう、アッシュ」 黒い蓋を閉じて、アッシュの柔らかな部分にヴァンは言葉で爪を立て傷つける。 公爵子息の嗜みとして、一通りの楽器はこなせるように躾けられた。そして優秀な「ルーク」は周囲の期待以上の出来栄えを披露してきた。 だが、公爵子息という立場を奪われてからは殊更その類をアッシュは忌避してきた。 思わず顔を歪めたアッシュに薄く笑って、椅子から立ち上がる。 アッシュの脇をとおり部屋から退出するヴァンに、アッシュは問いかける。 「おい、その曲はなんていうんだ」 「……さあ、忘れてしまったな」 そのまま立ち去ろうとする背に向かって、アッシュは再度声をかける。 「今の曲は、昔、ガイが歌っていた」 これ以上踏み入る事を拒絶していた背が僅かに反応したのをアッシュは見逃さなかった。 少しばかりの沈黙のあと、背を向けたまま抑揚のない声で告げる。
「失われた故郷の歌だ」
終
自分だけが書いて楽しい。そんな感じ。 よく頭からすっぽり抜け落ちるのが、師匠がセブンスフォニマーだという事と 師匠が演奏好きな事(← 初回は衝撃だったなあ。え、こんな時にこんな場所でなにやってんの!!!とびびったもんです。 最終決戦の正座も素晴らしかった。 師匠、有難う。色々ネタ仕込む彼が大好きだ。
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