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ラのつく日記
画竜点睛に欠く!ですね。昨日の日記で言いたかったことは。すいません。 国語まちがっちった。うーひー。お恥ずかしい。
乳首がないんだよって話を姉に興奮しながらいったら、だってアニメだし…、と諌められました。たしかに。鬼の首をとったように騒ぎ立てることではなかった。 最近、乳首についてたまたまふと考えていたことがあったので、妙に気になったのかもしれません。 ナナミさん(出張おつかれサマーです!)に借りているもののなかに、最高に面白い乳首の話があったのと(ネタはあがっとる!、ていうやつ)、あと、OneコンのDVDがもし発売されないとしたらその理由はなにか…Daysであいばちゃんだけがドレスシャツから乳首すけてた(シャツをパンツにきっちりインしていたためと思われます)せいか…、などと頭を悩ませていたのであります。 これを期に発売されない理由とか考えんのやめよう。
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トップページにブックマークしましたヘブンリーサイトさん。わ〜い日参しやすくなった! 真綾ちゃんライブ行かれるんですね、いいなあ。 トークショー行きたい…、い・い・な! ほんとかっこいいよねえ、つかもとさん…。
人様の日記を拝見して熱心に独り言をつむぐ日記です。
そして以下はうっとうしい語り。コーナー名をつけるなら真夜中の手紙。
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今日は「ありふれている」ということについて考えていました。 何かに接したとき、それはありふれている、ありがちであるということを感じることがありますよね。それはなぜだろうと思って。 私は22年強しか生きていないし、接することのできるものは本当に限られている。 それでもありがちだ、と感じることがある。 「ありふれている」ということは、同じものがたくさんあるということですよね。 でもこの世に同じものなんてあるんだろうか、誰かに似ている人や似たような人ばかりかもしれないけれど、私が出会った人はいつでもたった1人で、私も私にとってはたった1人だし、人生はほんの一瞬しかない、常に。その一瞬を繰り返すことが人生ではない。後ろに積み重なっているのかもしれないけど、完全に振り返りきることはできない。二度と追体験できない。 人はそうなんじゃないかなあと思って、つまり「ありふれている」ってほんとあやふやだよなあ、と考えるんですが、ものにしても、たとえ工場で大量生産されるものであっても、1つ1つが完全に完璧に、同じであるということはきっとないだろう、大量生産されるなら受取手も多様だろうし。 人間がかかわることに、同じことってないんじゃないかなあ。 ありふれているっていうことがときどき心地わるいように感じられることがあっても、ありふれていないことにだけ価値があるわけじゃない、ありふれていても、大事なものっていっぱいあるよねー とか、まったくとりとめもなく考えました。
坂本真綾「夕凪LOOP」、ふつう、ふへん、ありふれた世界観であると感じました。 この世に、東京に?、たくさんたくさん流れている音楽を、すこしすくいとって坂本真綾がうたった、そういう印象です。 この中にある音楽はいつかどこかで流れていた、今も流れている、ありふれた歌で、10年後にも流れているかもしれない。 この歌のために足をとめて聴き入ることはないだろうけど、空気みたいに風みたいに流れていて、気づかないうちに生活の一部になって、それはたぶん心地よい、悪くない(えらそう)ことだと思いました。 歌を聴いて驚かない、どきどきしない、胸がつまることもない、けど、このアルバムも心地よく聴ける音楽の中の1枚になるだろうなあ、と今のとこ思います。 Hello、若葉、NO FEAR / あいすること、冬ですか、がわりと積極的に好きで、 ユニゾン はおもしろいし、 a happy ending はきれいだなあと思いました。 坂本真綾の歌詞はどれも好きだなあ。 NO FEAR〜は、曲と歌がすごく好き。
ぐちゃぐちゃいってるあたり、往生際わるいって感じですが、好きか嫌いかでいったら、嫌いじゃない、好きなところもけっこうあった、そういう感じです。 全曲が「ハイタッチ」のようだったらどうしようとおそれを抱いていたので、聴いてみたら普通で、すごくほっとしました。 今まで坂本真綾のうたを聴くときに感じた、ドッキーン!な感触がなくてさみしいという感じもします。
かしこ ハダシ
手紙風にしめてみました。 おつきあいありがとうございました!
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