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| 2004年02月19日(木) ■ |
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| 売れるファンタジー |
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昨日は徹夜で一睡もしていない上に、4時間近くの映画鑑賞で、目が芯から疲れた。ものすごく早く寝たのだが、早朝に目を覚ましてしまい、かといって音を立てると怒られるので起き出すわけにもいかず、暗がりでじっと本を読んでいたのだが、かえって疲れて、また昼寝をする羽目になった。最近では、昼間のほうがひとり静かにぐっすり眠れるという状態で、夜いくら早く寝ても、熟睡できないみたいだ。
明け方、あまり小難しいものは読みたくないからと、ホーソーンの『緋文字』は脇にどけて、Howard Pyleの『The Garden Behind the Moon』を読んでいたのだが、「指輪」や「ハリポタ」以外のファンタジーはなぜ売れないか、というか、なぜ「指輪」や「ハリポタ」は人気があるのかといったことがわかったような気がした。
「指輪」や「ハリポタ」は、作者がよくよく考えて抜いていて、読者に疑問がわいても、それをはね返せるだけの説得力があるのだが(よほど天邪鬼な読者でない限り)、他のおおかたの作品は、ひとつのイメージ、またはテーマを思いついたら、深く考えもせず、作家の勝手なファンタジーの思い込みだけで書かれているような気がする。
ファンタジーという概念は、作家によっても違うと思うが、時に詩的なものであったり、あるいは宗教的なものであったりする。神とか天使とかということで片付けてしまうものもある。ただたいした意味もなく、不思議な光景のイメージを書き連ねて、ファンタジーですと言っているものもある。そういったものは、何か中途半端で、読後が消化不良になる。非常に不満が残る。
「指輪」などは、その関連本まで考えると、これでもか!というくらいに納得させられる。架空の話ではあるが、真実味があって、説得力がある。例えば、物語に出てくる名剣アンドゥリルが、まるで古代の遺跡の出土品であるかのように大事なものに感じられてくるのだ。「ハリポタ」も、物語の中の些細な小物までよく考えられている。それが商品化されて実際に売っていても、何の違和感もない。
というわけで、ファンタジーとはいえ、とことん考え抜いて作られており、それがリアルに感じられる物語でないと、一般には売れないということじゃないだろうか。夢見心地の言葉の上だけのファンタジーなど、作者の自己満足にすぎないと思う。
そもそも子どもの興味はすぐそれてしまうから、子ども向けと思って安易な気持ちで書くと、つまらない話にしかならない。子どもの頭の中は、大人が考えるよりもずっと早く回転しており、面白いか、面白くないか、瞬時に判断してしまう。子どもは、言葉の上だけのきれい事の物語など、すぐにその深さを感じ取り、我慢して読んだりしない。我慢できるのは、大人になってからだ。それも、せっかく買った本だからもったいないという意識があるため、仕方なく我慢する。
きれい事が並んでいる文章が好きという人もいるだろうから、それはそれでいいのかもしれないが、一般に「売れる」ということを考えたとき、やはり物語の深さは重要だろうと思う。私が面白くないなあと思うファンタジーは、物語に深みがないというのが、だいたいの原因だ。
けれども、『Harry Potter and the Philosopher's Stone』のオーディオブックを聴いていて感じたのだが、「ハリポタ」は、言葉の音感も楽しい。おそらく売れる本というのは、作家が選んだ言葉の音とか、そういったことも関係してくるのだと思う。そういった意味では、翻訳されたときの翻訳者の責任も大きいかもしれない。
〓〓〓 BOOK
◆読了した本
J.R.R.トールキン『終わらざりし物語』(上)/クリストファ・トールキン(編) 内容(「MARC」データベースより) ヌーメノール王家の祖・トゥオルのエルフの隠れ王国へと至る苦難と不思議の旅路、不屈なるフーリンとその子に降りかかった過酷な運命…。トールキンの緻密で雄大な神話世界がよみがえる、「指輪物語」ファン必読の書!
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