のんびりKennyの「きまぐれコラム」
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2006年03月24日(金)  「ギターという楽器の悪口」

  ギターという楽器の素晴らしさに関してはプロの演奏家や
マスターピースを生み出すギター工房のオーナー達が
古今東西を問わず様々なことをお書きになっておられます。

私ごときが今更生意気なことを書き連ねたところで
あまり意味は無いですね。

にもかかわらず、チョッピリ書いてみようと思いたったのは
書きたいのがこのギターという楽器の「悪口」だからです。


何故「悪口」なのか?
ギターに興味の無い人間ははじめからギターの様に
「弱い楽器」に関してあまり語りません。

つまりこのギターという楽器の本当の「難しさ」や
「演奏のつらさ」をベースにした「悪口」はこの楽器を
好きで好きでたまらない人間にしか書けないと
感じたからなんです。

私はギターという楽器を数十年にわたり心から
愛してきた人間です。

「悪口」というのは 言わば愛しすぎた女性に対し、
自分をこれほどまでにとりこにしたことを悔しく感じ、
心にも無い悪態をつくといったことの比喩だと御理解ください。

さて、それでは「悪口」ですが・・・・

そもそもこのギターというしろものは
その物理的構造上あまりに楽器として未完成です!!
私は常々そう感じてきました。
楽器として「弱い」というのが長年の実感です。

ギターという楽器は楽器としてまだ完成していないにも
かかわらず、勝手に1人前の楽器として一人歩きを
はじめてしまった困ったヤツ、楽器としては
「弱い未熟児」という感覚が常にあります。

他の楽器にくらべて演奏のしづらさ、音程の狂いやすさ、
テクの出づらさ では抜きん出ています。
そのうえ和音楽器としては人間の左手の大きさゆえに
鍵盤楽器に大きく劣り、
単音楽器としては管楽器等の人間の息吹による
感情表現に大きく劣ります。
他の楽器にくらべて速弾きが難しく、
ミスタッチ皆無の演奏はプロでも少ないのが実情です。

そして、クラシックギターとロックギターがかろうじてその
アイデンティティーを確立しているものの、
私の好きなジャズという畑でのギターという楽器は
他の楽器にくらべ、その存在感が極めて薄いのです。
「弱い楽器」というのはそういう意味でもあります。

おそらく長年この楽器を愛し、演奏してきた
同好の志の中には私のこの文章を読んで
おおきくうなずきながら「同感〜!」と感じておられる
方が少なく無いのではないでしょうか。

だいたい「ジャズギター」なんてものを好きな人は
自分もギターを弾く人か、昔多少いじったことがある人かの
どちらかが圧倒的に多いんです。

ギターを弾いたことも無いのに、ギターミュージックが
他の楽器のものより好きなんて人は
希少価値(もう少しで皆無と書きそう!)。

まったく楽器を演奏しないで ただ聞くだけの
ジャズファンはサックスやホーンやピアノや
ヴォーカルやビッグバンド等を好みます。
 
当然です。 そこでの感情表現やスリリングな演奏や
グルービーなサウンドの渦はギターという「弱い楽器」には
その物理的構造上出しづらいものなのです。

そのうえ「必要度の薄さ」という致命的なポイントもあります。
オーソドックスなジャズを演奏するパターンは
スリーリズム(古い言い方ですいません、そういう世代です)
のピアノ、ベース、ドラムの上にサックスやホーンが加わる
というものでしょう。

もちろん変則的な編成は沢山ありますが、基本的には
ベースが無かったり、ドラムスやピアノが無いと
やはり音に物足りなさがあります。
サックスやホーンは勿論ジャズ演奏では主役と言っても
良いでしょう。 
つまりジャズ楽器としての基本的な必要度が高いのです。

ではギターはどうでしょうか?
大方の意見は
「ギター? ああ、いてもいなくてもイイかな」てなもんです。
バックとしても、メインとしても
その「必要度」が他の楽器にくらべて残念ながら低いんです。

「ギターが入っている方が全体の音に厚みがあって良い」
なんてことを言う人は、必ず自分もギターを弾く人です(笑)。

さらにまずいことには、自分でジャズギターを演奏する人なら
だれでも知っている(ギタリスト以外はほとんど知らない!)
こととして、「ピアノとの音のぶつかり」という決定的な問題が
存在しているのです。

私のジャズギターの師匠S先生(知る人ぞ知る大御所です)は
ピアノと一緒に演奏することが大嫌いで、仕事が入ると
「ピアノ無しなら演る」と常に言っておられました。
その影響かどうか、不肖の弟子の私もピアノと一緒に
ステージに上がるのが昔から好きではありません。

10本の指を駆使して、ちょっと触るだけで大量の音を
空中に発散するピアノという楽器は、その物理的構造上
極めて限定された音しか出すことの出来ないギターという
楽器で苦心して必要な音を選んでやっと空中に押し出す
ギタリストにとって憎んでも憎みきれない邪魔な楽器なのです。

そして残念なことに、ジャズ演奏における
ピアノという楽器の地位はギターにくらべて確固たるものが
あり、だいたい行く先々にピアノ氏はすでに鎮座まして
おられる為、ギター氏はますます「弱い立場」へと押しやられる
のであります。

「ピアノは音が多すぎるから嫌だ」とか
「ピアノがいるならバックはまかせて自分はたまに刻むだけ」とか
「自分がギターを弾く時はピアノは休んでくんないかな」とか
「もうピアノと一緒に演奏するのは止めよう」とか
「俺はもうギタートリオでしかやらない!」とか
感じているギタリストは実はアナタだけではなかったのです!(笑)

もっとも私生活では良き友人としてピアニストは多く、
彼ら(彼女ら)に言わせれば、管のバックや唄伴で
自分のピアノ以外にギターが入ると裏にカットしてくるリズムが
邪魔だと口をそろえて言いますからどっちもどっちなのかも
しれませんが。

そしてギターという楽器の「悪口」として忘れずに書いておかなければ
ならないことは、その「上達の遅さと困難さ」です。
他の楽器は言うに及ばず、スポーツでも、工芸でも、
その上達のある程度は「練習量に比例して伸びる」という
基本原則があると思うのですが、ことギターという
物理的構造上未完成な楽器モドキに関する限り
この基本原則が通用しません。

「努力」よりは「適性」が、
「練習量」よりは「才能」があっさりと勝ってしまう
という認めたくない特徴のある楽器なのです。

早い話が、
「いくら練習しても上手くならない人間はいつまでたっても
いっこうに上手くならない」にもかかわらず、
「適正と才能に恵まれた人間は短期間に急速に上達する」
きわめて不公平な楽器がギターなのです。

もちろん私は前者。

何十年も弾いているのですが、ちっとも上手くなりません。

それでもこの物理的構造上未完成な楽器が
好きで好きで好きでたまらないから困ったものです。


これからも上手くならないままずっずっとこの楽器を
愛していくと思います。

今日の「悪口」は私なりのギターへの愛の表現ということ
なのかもしれません。
なんとなく書いてみたかったのです。

オシマイ!




追記: 私、ピアノと一緒に演るのが嫌いです(笑)。






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