のんびりKennyの「きまぐれコラム」
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2000年05月01日(月)  「才無き者の嘆き」 

  音楽と絵画とゴルフをこよなく愛する私にとって、その各分野で活躍する
かつての仲間達との交友の輪はかけがえの無いものである。

しかし、それは時によって人生の苦さを思い知らしてもくれる。

「かつての」というところが大切である。
現在の彼等は皆それぞれにその畑でそれなりに成功している「プロ」
であり、私はその才能無きが故に、それを「趣味」として生きているに
すぎない。

先日、かつて同じ師について絵画を学び、現在はドイツで認められ、
ドイツ人の嫁さんをもらって現地に永住してしまった画家の友人から
身に余る誘いを受けた。

彼の久しぶりの里帰りにあわせて、彼の故郷の青年商工会議所が
主宰する絵画展に私の作品も出してみないかとの趣旨であった。

即売会を兼ねており、彼の日本の友人や彼の故郷の絵筆自慢達の
作品がでるのでそれらと一緒に並べてみてはとの誘いである。

「余興」である。

私は己が才能の無さを自覚せぬほどのアホでは無いつもりだった。
かつて同じ師について競ったことのある米国暮らしの友人への
気紛れの社交辞令である。
こちらも社交辞令で一応作品を送り、次回ドイツで会ったときの
酒のサカナにでもして笑ってもらえればという程度の気持ちで応じた。

よせばよかった。

だいぶ前に時間をかけて描いた小さな作品をひとつ送ってしまった。
けっして満足のいく作品ではなかった。
しかし、その頃としてはそれなりに描けた様な気がして、
あえて上から描き直そうという気にはならずにそのままになっていた。

本業の不動産事業が忙しく、作品を送った後は半分忘れていた。

そろそろ例の絵画展も終わり、作品が返送されてくる頃だな、
などとなんとなく思い始めたところに、全く予期せぬことが起きた。

主宰者から、買い手がつき作品が売却された旨の手紙とともに
ドル建ての小切手が郵送されてきたのだ。

仰天した。
「まさか」である。

それだけならまだよかった。
後ろめたい気分は私だけの中でいつかは消えていったかもしれない。

手紙にはドイツに戻る準備で忙しかったであろう古き友からの
短い手書きのメモが糊付け封筒で添付されていた。

それにはひとこと「残念だが売れてしまった。悪かった。」とだけ書いてあった。

脳天をマサカリでかち割られたような衝撃と、顔から火が出る様な
恥ずかしさでいたたまれなくなった。

私の作品には非才な人間がせいいっぱい背伸びをしてつくろった
負け犬の遠吠えが溢れていた。

絵画の才能が全身から溢れ出す彼の眼には、
かつてのライバル(俺が勝手にそう思っていただけであったが)
のあまりに無残な才無き作品の出来が一目瞭然であったに違いない。

手書きのメモにあった「残念ながら」の一言にすべてが凝縮されていた。
やつと俺だけにしかわからぬコミュニケーションである。

「対価を払うに値しないことを互いに知っている作品が
それを見抜くことの出来ない、これまた才無き買い手によって
買われてしまい、おまえの作品と名前がこの世のどこかに残る
ことになってしまった。 あってはならないことが起きた。
おまえもさぞかし恥ずかしいだろう。 さそった俺が悪かった。」

「残念ながら」の一言がそう語りかけてきた。

私は残りの短い人生で、2度と絵画展の様なはれがましい場所に
自分の作品を出す愚は繰り返すまいと心に決めた。



芸術とは残酷なものである。

天性の才能に恵まれた者が数時間で描きなぐった作品と
才なき者が数年の修練と汗と涙と努力で描きあげた作品を
比べたとき、前者の輝きの前に後者の辛苦は足元にも及ばないのだ。

努力とは、才無き者による、絶望への永遠の代償行為である。


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