
以下、読んだ本についてのほざき。
昨夜から今朝の読書タイムにかけて、この前の週末、恋人さまに借りた
『男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章』(塩野七生著)を読んでみました、はい。
塩野七生センセイのローマ人の物語シリーズや『我が友 マキャベリ』『塩野 チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』などの有名どころは愛読しておりますが、エッセイは今回が初♪
で、感想。一言で言えば、すごーーーーく楽しかった(笑)。ただ、10年以上前のエッセイなので賛同できない箇所もそれなりにあったのですが、歴史を研究なされている塩野センセイだけあって、その多くは時が経過しても色褪せない内容になっているように感じました、はい。
というか、まじめに「感想」などを述べるのも恥ずかしいので、以下、ほざき程度で。。
まず、この本を借りた時、彼が「塩野七生となおサンは似ている♪」と言っていた理由がこのエッセイを読んですごく良くわかった。。
もちろん塩野センセイは、私のような小市民とは経験や年齢はもとよりバックグラウンドもだいぶ異なる。また、興味関心のあり方なども、全く違うのは確かである。(→少なくとも私は、ルネサンス時代を詳細に調べ作品化しようとは思わない種類の人間に属する。)
が、確かに似ていると言えば似ているのである。
そう、、、真実を追究し真実を述べ、そのためにならば敵を作ることも戦うことも厭わない、という点に関する“意気込み”が(苦笑)。
ということで、ダラダラほざいていてもどうしようもないので、以下、気に入った箇所を少しだけ引用♪
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★頭の良い男について
ここで言っている頭の良いということは、おしゃべりしたりする時のために取っておかれる類の基準ではない。ベッドの上であろうと、どこでもいつでもすべての行動を律する、いわば基本、ベースといってもよいものだ。
だから、有名大学の競争率の高い学部を卒業して、一流企業や官庁や大学に勤めている人が、頭の良い男とイコールにならないという例も、しばしば起こるのである。日本では、教育はあっても教養のない男は、まったくはいて捨てるほど多い。
つまり、ここで言いたい「頭の良い男」とは、何事も自分の頭で考え、それに基づいて判断を下し、ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性に富み、それでいて鋭く深い洞察力を持つ男、ということになる。
なんのことはない、よく言われる自分自身の「哲学」を持っている人ということだが、哲学といったって何も難しい学問を指す訳ではなく、物事に対処する「姿勢」(スタイル)を持っているかいないかの問題なのだ。だから、年齢に関係なく、社会的地位や教育の高低にも関係なく、持つ人と持たない人の違いしか存在しない。
『男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章』(塩野七生著)p14より引用。
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