
以下、
“女性のコミュニケーションスキル向上が未婚化を防ぐ”【Simple】より、引用。(→“愛ある真実”を含むが故に、人によっては毒にも“見えてしまう”バランスの良い論理を好む私が愛読させて頂いているサイト様の1つであります、はい。)
女性の男性とのコミュニケーションスキルを向上させることが重要である。男性だけの問題ではない。
“女性のコミュニケーションスキル向上が未婚化を防ぐ”【Simple】より。
私もこれ同感です、はい。だって、男性と女性という生物学的差異を根拠とした“二項対立”的な思想で以って“どちらか一方の問題だ”というように結論付ける、のって、すごーーく簡単で単純だけど、十中八九は間違ってますもんなぁ。(→この発想でいったら修論さえも通りませぬ。。)
要するに、“論理”の手前にある“根本思想”(→ここでは二項対立であり二分法であり、“どっちか”思考。)そのものが、もはや現代では効力ないんですよなぁ。こういう論理のベースとなる思想分野に関しては、明らかに修行が足りてないので、年明け前に「思想研究週間」(1週間から10日くらいかなぁ。)を設け基礎力強化しようと思いまする。。
で、上の文章での結論を読ませて頂き、思い出したのが、つい先日再読し、この日記にも引用した
書籍『贅沢に、美しく大人の女』(安井かずみ著/1991)の記述でありました。
日本の男の大半は、女の友達を望んでいない。
気があるかないかで女を二分して、ない場合はセ・フィニ・・・・・、といった低級思想の御人が多いからだ。
しかし、大人文化の確立している欧米諸国では、男も女も友人として求め合う、つまり男友達は素敵に成立する。なにゆえ、日本男子が女の友達を要らないというのか?
それは、女が魅力的ではないからだ。
さらに、話してもつまらないからだ。だから、口説くか、恋するか、所有するかの対象にしか考えないのだ。
これは以っての他、一大社会現象である。大人の女こそ、男と友情できる付加価値をもつべきである。
書籍『贅沢に、美しく大人の女』(安井かずみ著/1991)p32より。
上の書籍の引用部分は
Simpleサマの今回の主張の基になっている“結婚”についての“データ”、というのではなく、あくまで“著者の経験”に基づいて“異性と友達として上手く付き合う”ことに焦点を当てて書かれている章ですので、その点だけ注意してくださいな。
「気があるかないかで女を二分する」ような「低級思想」の男性(つまり二項対立的思想を持つ御方。)がまだ存在していることは私も知っていますし、実際にお目にかかったことも多々あります、はい。。
が、この書籍の発売当初1991年と比較しますと、もうすぐ2005年をも迎えようとしております現代日本社会におきましては、少なくとも日々減少している(→1日2人〜5人くらいの割合かなぁ。)と、信じたいものですね、女性のみなさま方。
(→っうか、「口説く”のがマナーだ♪」と勘違いしている男性って、ホント迷惑ですよぁ。。でも、その、とりあえずの“マナー”に過剰反応して、勘違い“自慢”する女性にも問題あるよなぁ、と正直思う。。もっと違う話できないのかね、君たちは。。)
というか、今、上の引用文読んでたら、なんか私、男友達っていうとアジア系の人が多いから(→やはり、ビジネスネタ話すなら中国人が一番ですしなぁ♪)、もっと視野を広げ世界へと足を伸ばし、人材発掘しなくちゃならないような気がしてきた。。(→やはり修行と巡礼が足りてないですよなぁ、私。やはり叶姉妹を見習って頑張ろう、ふむ。)
まぁ、要するに、あれですよ。つまり、男性が悪いと言ってばかりいると、どっちみち道を踏み外しますので、貴重な人生を楽し〜〜〜く過ごしていくためにも、コミュニケーション・スキルを磨き続けたほうがいいらしい、ってコトですなぁ、ふぅ。。
っうか、長々と書いてしまいましたが、結局は、コミュニケーション関連の問題or課題設定って、男でも女でもなく、“人間同士意識”をベースにやるモノ、、詰まるところ、いわゆる「人間力で勝負♪」っていう無難なところに落ち着いてしまいますよなぁ、やはり。。
では、気を取り直して、たるみがちな日常に少々カツを入れるため、最後は、時代を超えて普遍的な“厳しくて泥臭い”大先輩サマの引用で締めたいと思いまする。
(異性との)友達の関係は、目を閉じてキスするわけではないから、会話こそ友人の主たる手段である。
いわゆる女のお喋りレベルでは失格、最も男たちがわずらわしいと思う、嫌がる内容である。時事、スポーツ、旅、アート、比較文化論などが適当であろう。
その場合、女はそれらのテーマを常から勉強していなければならない。そして、会話の際は、それらに対して自分の意見を持っていたい。
つまり、受け売り、読み売り、聞きかじりをオウムのごとく(ならまだよいが)、あたかも自分の意見のごとく話すのは、まったくのところ、嫌われる女となる。
(・・・中略・・・)
そして男友達を得るためには、女の程よい気軽さも条件になる。
重苦しい女はダメ。また、気取っている女、美人を鼻にかけている女、金や育ちの良さを鎧にしている女、自分を用心深く守る女、上品ぶっている女、男を意味もなく警戒する女、もてる意識過剰な女には、よき友情は成立しないだろう。場合によっては、人間同士意識も必要かもしれない。
書籍『贅沢に、美しく大人の女』(安井かずみ著/1991)p33-34より。
あぁ、何だか最近、銀座ホステス養成講座みたいになってきてしまいましたね、。。では、とりあえず、おやすみなさいませ。。

□■□その他のほざき。□■□
・昼間食べたごはん、美味しかったですわ。Yサマ、毎度どうもありがとうございました〜♪
・以下、コミュニケーションとマネーとの関連についてリンク&引用。要するに、ファイナンスとの関連で、コミュニケーションや心理・認知科学系分野に私が拘ってる理由の1つって、まさにコレなんですよなぁ。
財貨とサービスのコミュニケーション【ちはるの多次元尺度構成法(日記)はてな版】
金を払うということも、また、金を払わない(金を払うのをやめる)ということも、コミュニケーションの始点と終点をきっちりと決める目印になっている。金を払うことで、共同作業を始め、金を払うのをやめることで、共同作業を終える。金を払わなければ、いつまでたっても始まらないことになる。
同様に、金を払うのをやめなければ、いつまでたっても終わらないことになる。したがって、お金の動きは、最も明白であり、誰にでも意思表示できるコミュニケーションの目印という意味で重要なのだ。