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2002年12月19日(木) 存在とは

野球やサッカーの審判はよく「石ころと同じだ」などといわれます。

たとえ彼らにボールが当たってあらぬ方向へ飛んでいったとしても、選手と

してはそれは何もなかったことにしてプレーを続けなければならないのです。

それが自分たちに不利になるような方向に進んだとしても。


そんでもってこれからが本題なのですが、今日の昼の話です。

わたしのいる係では、通常の昼休み時(12時〜13時)にお客さんに応対

するため、日替わりで当番制を敷いていまして、その当番の人は、他の人と

ずれた昼休みを取る(13時〜14時)ということにしています。

今日、わたしがその当番日でして、13時になり、休憩室で昼食をとって

いました。

そこは、休憩室とはいっても、荷物とかパンフレットとか、仕事に使う書類が

普通に置いてありまして、当然他の人は勤務時間中ですから、荷物を取りに

来たりなんだりするわけです。

今日もご多分にもれず、入れ替わり立ち代わり人が入ってきまして、落ち着か

ないったらありゃしないんですが、もう4年近くそういう生活を続けていれば

そんなのも慣れっこです。

他の人も、そんな状況はある程度わかっているので、

「ゴメンね、食事中に」

などと気を使ってくれますが、

「イヤイヤ、気にしないで下さい。いないもんだと思ってもらえれば」

なんて余裕の表情で返します。

そんなとき、「野球とかの審判っていうのもこんな感じなのかなあ」と

場違いなことを思ってみたりもするわけです。

今日もある人とそんな会話を交わしまして、そんなことをふと考えていたら、

その人、部屋を出て行くとき、



電気消して行っちゃいました(泣)


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