銀の鎧細工通信
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2008年12月12日(金) World’s end-White Butterfly (近藤高杉そよ:続き物4話目)

 少女は時折暗い目をして虚空を睨んでいる。
 壊れた魂は戻らないというのに、それでも彼を信じていた。否、今になってもまだ信じている。それは”信じたい”だけの身勝手な感情だった。”彼が、この国をむざむざ滅ぼさせるわけがない”と。
 そう思いたかっただけなのだ。おそらく彼には、高杉には、既にこの国は”ない”ものなのだ。とうの昔に滅んでしまっている。守るべきものでもなければ価値を見出すものでもない。
 滅んで尚醜く生き延びていること、それが罪。
 高杉の大切なものを奪って尚、生きながらえていること、それが咎。
 世界はまるで暗い森だ。あてどなく彷徨って彷徨って、明るいところへ向かいたいのにそれがもう何処なのか判らない。そんな場所があるとも思えなくなってしまったし、何処まで行っても同じ場所を巡っているようにしか思えない。そうしているうちに進むだけの力さえもなくしてしまった。それが私たち。息苦しいまでに深い闇の中で虚しく棒立ちを続けている。負った名前のために、立ち続けていなければならないと倒れることを赦されない私たち。そんな自分が世界に落とす影があの人を追いやってしまったのだ。この森に。
 被害者は将軍家ではなく、彼らだ。私たちは加害者だったんだ。そんな事実は塗りつぶして、見て見ない振りをすればよかった。そうできればよかった。薄々気付いていた不特定多数における真実を、顔と名前をもってして具体的に突きつけたのがたまたま高杉だっただけ。突きつけられたのが、そよだっただけ。偶然の歯車が嘲笑う。
 どんな免罪符なら赦されるのですか。
 瞬きひとつの瞬間に、そんなものは無いと思い改めて小さく笑う。おそらく先代、父こそが嫌と云うほどこうした感情に苛まれ続けて死んだのだろう。父は裏切者だった。父こそが、この国を、そこに住まう人々を裏切った。
 我を通すことは、自身の守るべきものが焦土と化すことに繋がる、そう思ったのだろう。或いはただの保身であったか。いずれにせよ、ともに闘おう、と守るべきものたちと手を取り合うことはしなかったのだ。一方的に庇護しようとすること、それが「守る」ということではなかったのだと、父はおそらく最期まで気付くことはなかったろう。とうにこの器は空っぽだったのだ。




 世界は音にまみれている。猥雑なそれは時に美しく、主にはわずらわしいもの。それでもその渦中を漂っているのは、時として稀有な調和を奏でるものがあったからだ。彼にそんな偶然の幸いが訪れることがなかったのなら、とうに万斎は耳を塞いでいただろう。聴くべきものなどこの世界には存在し無いと。
 万斎は万事屋も桂も真選組も気に食わない。高杉の過去を縛る者は皆同じように邪魔だと感じていた。他ならぬ高杉の執着が、鏡の様に万斎の嫌悪と繋がる。真選組を潰しても国を壊すことにはさほど影響がないと高杉だって解っているはずだった。中央が動けば押さえ付けることなどわけはない。それなのに真選組を潰す気でいけと云った。確かに何くれと目障りな集団ではあったが、その発言はそれだけ高杉が真選組を気にしているのだという事実を如実に表した。
 それが気に食わない。どんなものも顧みず、苦しいという感情ひとつで薙払う高杉に着いて行こうと決めたから。そんな歪な激情が響かせる和音に打ちのめされたから。
 衝撃的な旋律を阻み、中断させるものを万斎は厭った。それが己のみに通じる理屈で、それこそ奏でている当人の思惑さえも無視したものだとは知っている。ただ自分がもっと聴いていたい、だから邪魔をするな。万斎はさながら暗い森の中をふらふらと甘美なものの方へと蠢いている虫のような己をよく知っていた。
 偶然にも邂逅した旋律に酔い痴れていたい。身も心も。とんだ酔狂だと嘲笑うなら笑えばいい。
 






 
 あまりに辛く不条理な事柄に出会った際、こんな世界は滅べばいいと思うことは決して珍しくない。高杉の悲劇は単なる呪詛で済むことを実行に移せるだけの力を持っていることだった。本人の力量、人を惹き寄せる力、惹き寄せた人間を動かす力。ひとりひとりであれば到底実行になど移さないようなことを、高杉は全部喰らってまとめあげてしまえる。
 壊すのは簡単で、続けるほうが大変だと知っているからこそ、壊されたことの憎しみから離れられない。
 だとしても、仮にまっさらな焦土になってこの国は変わるだろうか?武力と金と権力とでもって安全かつ有利な立場にいる天人はまんまと逃げおおせ、ここぞとばかりに名実ともに主導権を取りにかかるだろう。泣くのは一般市民だけではないのか。
 怨みの激しさを表すにしても、侍が滅びて天人が統べる世に、高杉は何を見る気なのだろう。焼け野が原には高杉の姿もないのではないか。

 そよはそのことが何より気懸かりで胸を押さえる。
 万斎はそのことが何より興味をそそり耳を澄ます。

 およそあらゆる思惑などは、いつだって当人の思惑は他所に動いてゆく。生まれついて放浪を余儀なくされたもの、好んで放浪に身をやつすもの。





 私はあなたを止める。あなたが自ら止まることがないのなら、私があなたを止めてみせる。 壊して殺して、それで気が済む筈がない。あなたが作る焼け野が原にはあなたもいない。あなたが自身の業火で身を焼き滅ぼす前に、あなたを止める。
 あなたを守ると決めたから。
 ふと背後に気配を感じてそよは振り返る。灯明の及ばぬ薄暗い中に控えている影を見た。
 「急に無理を云ってごめんなさい」
 「いえ、最近は丁度暇だったんで」
 丁重に膝をつけた姿勢とは裏腹な声がいっそ場違いなほどに応じると、そよはふと微笑んだ。部屋の空気がかすかに和む。
 「つい先日も私のお願いを聞いて下さったばかりなのにお暇でしたの?」
 「毎度ご贔屓に」
 本丸近くの曲輪に住まう身としては、こうして気安く会話をできる相手は皆無だ。実の兄にしても、育ての親ともいえる松平にしても、口に出してはならない一線を意識しない瞬間はない。
 つい、と書状の束を全蔵に差し向け、そよはこれを届けて欲しいのと云った。
 「全蔵さんは直接出向かないで欲しいのです。可能ならば、直属の部下ではない方に」
 「・・・宛名を拝見しますよ」
 姫君の注釈に一瞬の間を置いた忍は無言を是と見做して宛書を改めた。一通、二通・・・そうして最後の書状を確認すると、こりゃあ・・・と呟いた。
 「随分と名だたる御大名に天人様連中じゃないすか。・・・密書とは穏やかでない」
 「ですから全蔵さんご自身ではなく他の方に、と申したのです」
 ふふ、と笑み混じりに応えられると忍は肩を竦めた。化かしあいという意味での政の才ならば、この姫君は御兄君をはるかに上回るであろう。
 「承知致しました。どうせなら他の里の奴に頼むとします。・・・しかしですね、そんなの時間稼ぎ程度ですよ。必ずバレます」
 そよは微笑みを浮べた穏やかな表情を崩さない。
 「解っています」
 それを己の忍としての信頼の表現として、全蔵は舌を巻く。若いってのはいいねえ、ほんの少し会わないだけでみるみる化けちまう、そんなことを思いながら拝命する。天使のような微笑みで悪魔のような企てに着手しようとしている、尊き血筋の姫様の意に沿う働きをすること、それは熾のようにくすぶっていた腕の見せ所を求める心情の成就としては願ったり叶ったりであった。
 「お文を届ける指示を出したら戻ります。お庭番の頃の隠し部屋は健在ですし」
 ”これからは身側に常駐する”という含意を込めた言葉を残して全蔵は再び闇へかき消えた。察しの良い忍は敵方となれば厄介で面倒極まりないものだが、見方につく場合の心強さは何より勝る。どれだけ心強かろうとも、それで保障されるものなどないのだが。
 


 ためらいなどどうしてあろうか。既に高杉に殺されていたはずの命だ。とうに抜け殻になった将軍家の姫だ。何をしてでも、あなたを守る。
 あなたがこの国を赦せないと、壊すと云うのなら、
 復讐なんかさせない。
 やり遂げた時にあなたの選ぶ道が見えてしまう。自身の放った業火に焼き尽くされるあなた。身ごと飲み込む赤い火柱。
 

















 だから、あなたが決定打を下す前に、


 私が、この国を、終わらせる。

              



















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 お久しぶりです。今はこれが精一杯・・・とルパンばりな鉄火です。
 まあカオス理論です。蝶の羽ばたきが嵐を起こすってやつ。蝶同士の比較として万斎にもちょっと出てもらったり。全ちゃんは蝶ではないのですが。ご本人も自称猫であるしね。
 一応対のWolrd’endに続きます。続き物の中で更にアナザーサイド作るとかほんと無謀・・・!しかも高杉の考えてることとか判らないし(云っちゃった。
 私の悪癖なのですが、なるたけ心情や経緯、背景を明らかにしておきたいんですよ。読み手側に想像の余地を与えないと云う点では稚拙な遣り口です。やはり私は文字書きではないんでしょうね。何を省いて何を記述するかが判らないですもん(笑。

 BGMというか、そよちゃん視点でのイメージソングはチャットモンチーの「世界の終わる夜に」です。神曲。

 推敲せずに上げるので後ほど手を加えるかもです。
 お読みくださってありがとうございました!


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