ああ、こういう時代がとうとう来てしまったのか、と、その新聞記事を読んだときに思った。 電子図書、である。 有名所では、パピレスかな。 あの、倒産した某○陸書房の本も扱っているという。
専用のPDF機器にダウンロードして(ちょっと違ってたらすみません、多分コレでよいと思うのだが)よむというやつで、ハードの方もいろいろ開発されているようである。
前は、 本は紙だからこそいいのよ! とか、思っていたのだが、 この記事を読んだとき、 手軽に落とせたら楽かも。 とか思った自分がいたことに、少しびっくりした。
今でも、私は紙媒体が良いと思っている。 だからといって、電子機器の利便性を否定する気もない。 こうして、インターネットが発達することによって、 業界には出てこない、それでもそれに引けをとらない、いや、それを上回るとさえ思えるクオリティーを持つ、オリジナル小説が読め、イラストを見ることが出来る。日々のニュースも、昔は図書館で調べるしかなかった、いろいろな情報も、容易く検索することが出来る。届いているのか読まれているのかやきもきした手紙も、電子メールという形で、瞬時に届きます。その恩恵は、計り知れない。
それでもあの「本」や「雑誌」という形態にこだわるのは何故か。
あの重さと、感触と、あのページをめくるという作業に魅せられているのだろうと思う。 新しい本を探す楽しみ、見つけ手にした時の喜び、わくわくする気持ち。 それはたぶん、電子でもリアルでも変わらないかもしれない。が、重さと、あの紙をめくるということは、紙媒体ならではだと思う。そして、その装丁の美しさに時にうっとりとする。見事なつくりの本もある。
だから、私はやはり、あの感触にこだわるのだろう。
そして、電子の産物は一瞬にして指一本で消え去る。 そのはかない存在は、やはり時に数百年、数千年という単位で残ることもある紙にはかなわないと思うのである。
なので、電子図書が今より普及しても、 今の形態の本が消え去ることは無いと、思っている。 いや、願っている、と言っていい。
おいて。 今日も、仕事だった。 なかなか結果が上がらないのもしんどいなあ、うん。 それでも、ちょっと希望が見えると疲れも吹き飛ぶほど舞い上がるのだから、我ながら現金なもんだ。
そういえば、昔、ワープロを手にしたのは大学一年の時、レポートのためだった。その時の英作文の担当講師が、タイプでレポートを出せと言ったためだ。その3年後、四年になった五月、卒論と毎週だったか毎月だったかの発表用の原稿のために、貯めたバイト代をはたいて今のパソコンを買った。結局フロッピーで移動して、打ち出しは研究室のプリンターを使っていたが。 そして、それから四年弱経って。 ワープロは年末の年賀葉書の表刷り(時に、裏刷りにも)の専用機となりはて、パソコンはインターネットの媒体として使われている。購入した当初より最新機が安いのに、涙。くそ〜〜!! でも、なんか分業っぽいぞ、これ。 今年は年賀状の作業は、訳あって年末に集中しなくて楽なようだ。 速いプリンターも入ったしね。 けど、処理速度が最近のに比べたら遅いので、さるHPが表示できないなんてこともあった。実に…実に哀しかった。
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