人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

日記一覧pastwill


2007年07月15日(日) 過去の自分を責めたり、慰めたり

初めての子だったんだからしょうがないよ、と自分を慰めても…。

今頃になって、ようやく、というか、今更的というか、涙が出る。薄々気が付いていた小さな生き物の発達障害を、専門家からぴしりと指摘されたときの涙は、衝撃によるもので、自らの受け入れとかそこまではいっていなかった。だけど、最近、自分を責めたり、将来を悲観したり、そういう、障害受容の過程を辿りつつあるようだ。

乳児時代、何でこの子は外出すると泣くんだろうと考えていた。とにかく、泣く。あまりの泣き時間にびっくりしたのは、初めての予防接種の1時間ちょっと、会場に入ってから出て授乳室にはいるまで、泣かれたとき。
それから、産後すぐからの2週間に1度の母乳相談会で、飲むか寝るかのどっちか以外はずっと泣いていて、夫に「手遊びに泣かないで参加できたことがないんだ」と、何ヶ月ももらし続けた。
乳児健診も、1歳半健診も、お約束どおり、泣いていた。

嫌なこと、慣れないことから自分を守るために、泣いていたんだろうと思い至ったのは、本当に最近のこと。場慣れしないのは、人馴れしないのは、閉じこもり育児だからかなあと、一生懸命あちこちに出ていた日々は、一体何だったのか。

7月上旬、職場で、反応のいい乳児に出会い、同じ月齢時のうちの小さな生き物にはそれはなかったと、改めて衝撃を受ける。乳児期から、反応の薄かった小さな生き物のそれに、何で私は、気づかなかったんだろう?と自分を責めつつも、分かっている。そのときに遅めだと分かっても、先の伸びは分からないとおびえるしかなかったということは。分からないまま育てられたことは、お互いにむしろ幸運だったのだと。そういう、囁きも聞こえたりする。

ずっと、遅いままではないと、そう信じたいけれども。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




↑エンピツ投票釦
My追加