人生事件
−日々是ストレス:とりとめのない話 【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】
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| 2003年02月06日(木) |
ストレートなほど複雑化する人間関係 |
人はいくつになっても人である、ということ。
子どもからお年寄りまで、市民というのはさまざまな年齢層、ライフサイクルにいまして。そんな方々と接する毎日の中で、ふと、気づいたことがありまして。
1歳半くらいで、すでに人の好みのタイプは決まっているのを間近で感じる日々。 特に、男の子に顕著な感じ。親子で遊ぶ会なんかがあると、その中でも好みのお母さんていうのが必ずあるようで。自分のお母さんをないがしろにして、好みであるそのお母さんのところへ駆け寄り、じっと顔を見ながら両手を上げて抱っこをせがんでみたりして。 いやあ、とっても積極的ね☆ それは、子どもに接するのが上手な人のところに行くわけではないというところがミソである。子どもが喜ぶような遊びの上手なお母さんもある意味、とっても子どもたちにもてるが、決してそうでないお母さん、どちらかというと遊び下手なお母さんを好む子どももいるからだ。 でも、実のお母さんとしては、どう思っているのか。一時であれ、自分を慕うよりも激しく強い力で誰かを求める我が子を見て…。 うーん。
お年寄りもお年寄りで子どもよりタチ悪く好き嫌いが激しい。しかも、変なところでえらく寛容なくせに、結構、嫉妬心が強かったりもするやっかいな存在。誰それの脈は長めに計ってたような気がするだの、俺には近況をあんまり聞かないだの、俺も若い人と話したいだの、他人の背景を見てから判断するだの我慢するだの順番だのというものを一切合財忘れて、「ずるい」と非常にストレートにぶつかってくる。 独居とか高血圧とかの人にはじっくり話を聞く時間をとるが、そうでない元気な人の話はゆっくり聞けないのが今の仕事の現状。対象者が多すぎるのだ。だけど、面と向かって苦情を言われるとなんとかしなければとこちらだって思う。だから、頑張って時間を割いたりもする。お年寄りに、こちらの理由なんて、本当、関係ない感じでぶつかってくる。
思春期や成人、中年の方々は、自分を抑えたりすることが比較的で切る年齢層だろう。だから、その分、どろどろとしたものを抱えながら生きている感じだ。だけど、そのほうが人間関係はうまく成り立つような気がする。
感情を放出しなさ過ぎるのもストレス溜まっていけないけれど、素直すぎるのも、やっぱり問題なのだと思う。
適度にっていうのは、一番難しいのかもしれない。
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