人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年01月23日(木) 妊娠経過順調・・・

私、腹の中に生き物、飼っていませんでした。

先日、とある妊婦さんに体調どうかしら?、と電話したら本人いなくて、その実のお母さんと少しお話したら、すでにお子さんは流れちゃっていた。母子健康手帳もらいに来た時点で、「ちょっと切迫流産で、病院でお薬もらってるんです」っていたのだけれど、その数日後にやっぱり耐えられなかったらしい。子どもは亡くなってしまった。
心配だったから連絡した。私は決して、切ない記憶を掘り起こしたかったわけではないのだけれど。

切迫流産は胎児は生きていても流産しかかっている状態をいう。大体の人の妊娠発覚が6〜12週という感じなのだけれど、ちょうどそのころに流産することが多い。そんなに早くに流産するっていうのはたいてい、胎児に何らかの異常があったと見られるのだけれど、実際にそれで子どもを失った人にとってはそんなこと関係ない。
たとえ双胎で、片方は生を受けたとしても片方が死産であれば、もうそれだけで母親は自責の念を持ち、その念に深く強く囚われる。「自分が悪かったんだ。ごめんなさい」と。

でも別に、それは妊娠経過中だけの話ではなく、親の自覚ある人が幼子を亡くした場合、とても自分を責める傾向にある。でも、それは当たり前のプロセスなのだ。泣いて泣いて、自分を責めてもいい。だけど、その先に、ゆっくりであっても進めるかどうかが問題なのだ。同じ状態ですごしてはいけないのだ。
支えようとする周囲の人たちに応えようと前向きに進む人もいれば、悲しみに足をとられ、倒れ、そしてその傷を癒せずに悶々と生きている人たちもたくさんいる。
子を亡くしたことを忘れずに、生きて一緒に暮らしている人の数に亡くなった子を足して「うちは○人家族です」と言い切る人もいいる。もはや、前向きなのか後ろ向きなのか、さっぱり見当つかないような。

生きていくことすらつらいほどの罰を自分に与え続けることが贖罪になると思ったら、大間違いなのだと私は思う。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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