人生事件  −日々是ストレス:とりとめのない話  【文体が定まっていないのはご愛嬌ということで】

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2003年01月06日(月) 神様は罰を与える方ではないけれど

佐々木(仮)家では、年始早々初詣の習慣はない。

親友のカエの家では、毎年必ず元旦〜3日までのうちに家族揃って初詣に行くそうだ。それも、生まれてからずっと、たった1度の例外を除いて、毎年同じ所に。
初詣先はカエの家から電車に乗っていかなければならない、O神社とT不動尊。今年も雪の中、行ってきたらしい。彼女の家は、ここしか行ってはいけないんだそうだ。
何故ならばある年、寒いし面倒だしということで近所のH神社にしたところ、カエが骨折し、カエの弟のシゲルくんが死にかけ、おじが職を失うという災難に見舞われ、やっぱり初詣の場所をかえたのがいけなかったんだ、という結論にたどり着いたらしい。
以後、ずっとその2箇所に行っているらしい。

悪いことをしたら罰せられるのは納得いくが、神様が何もしていない人に罰を与えるとは考えにくい。初詣に来なかったからといって、神様は怒ったりはしないであろう。いくら懐の狭い人間の創造物だといえ、万能に近い神様がそこまで懐が狭いわけがなかろう。
だけど、偶然に偶然が重なった結果、家族が災難ばかりをかぶった場合は、やはり行きつく先は『初詣の場所を変えたから』となってしまったようだ。
・・・あれ、でも『罰(ばち)が当たる』って、誰が罰を与えるんだ?

別に、私は神を信じるわけではないが、人を支える、目に見えない力というのはすごいと思う。信じることで、人は救われることもあるのだ。

私の今年の初詣はいつぐらいになるのであろうか。その年初めて詣でたら初詣。その定義で行くと、昨年の初詣は7月であったような気がする。

嗚呼どうぞ、今年も±プラスの、よい年になりますように。


佐々木奎佐 |手紙はこちら ||日常茶話 2023/1/2




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