Oyumi's Diary

2002年07月04日(木) 涙はみせない・・・嫁姑戦争(1)

梅雨の晴れ間 お昼前からは久しぶりの太陽さんも顔出して
お洗濯、お布団干しには最適な日

しか〜し、今日は外でテニスのレッスン日
こんなに晴れたらどんなに日焼け止め対策しても無駄なのだ
しっかり、ソックスのあとついちゃいました
今年もこれでもう素足にはなれません(涙)

そのうえ、ここ何日か身体の調子がイマイチだったのに
突然ハードな練習を炎天下でしたので
汗がだらだら流れる暑さなのに、途中から寒気がしてきて
これ以上危ないなって状態になってしまった。
無理な運動はいけませんね・・・・反省


ところで、今日はそのレッスン仲間である恵さん(仮名)から聞いた話を
特に友人のR嬢に聞いて欲しくて書きます。

恵さんの家族は、夫、男の子3人(22、20、18)
昨年までは96歳の義父が同居でした。
この義父との暮らしも相当なものでしたが、今日は、もう10年以上前に亡くなった義母の話を。

恵さんは普通のサラリーマンの家庭に育ち、ご主人とは社内結婚でした。
義父は誰もが知ってる会社の社長さんで、義母はこの結婚にはあまり乗り気ではなかった。
何か事があるたびに、博(ご主人の仮名)にはもっといいお話があったと言い、
そのことを、恵さんの実家のお母さんにも言っていた。

恵さんは、この義父母とは別居でしたがスープの冷めない距離で
ちょっとしたことで直ぐに呼び出されたり、電話で長話しに付き合わされた。

特にこの電話は子供が授かるまでは毎日
『まだ出来ないのか? どこかおかしいのでは?』と言われ続けた。

結婚して初めてのお正月
恵さんは、「おせち」料理として洋風のものを作ってくるように言われた。
まだ、22歳だった恵さんは実家のお母さんに教わって精一杯のお料理を作ってもって行った。

正月の祝いのテーブルには、義父母の他、二人の姉の家族も集まりテーブルには豪華な料理が所狭しと並べられていた。



しかし、恵さんの作った料理はどこにもなく、最後までテーブルに出てくることはなかった。。。
その料理が、どうなったのかわからぬまま、恵さんはそれから義母が亡くなるまで
何年間も並べられぬ事のない料理を作り続ける事になった。


*長くなってしまうので続きはまた明日









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